2012年05月27日
〔マルコによる福音書講解説教〕
第81回「マルコによる福音書14章53〜72
節」
(11/04/03)(その2)
(承前)
時刻は夜であり、このように深更に公式の会議が開かれたということは、そ
れだけイエスの裁判が重要であった、ユダヤ教の運命に関わることであったと
いうことを示しています。
一方、ペトロはどうやって大祭司の屋敷の中庭にまで入ることができたので
しょうか。それは不明です。が、ともかく大祭司の下役たちと一緒に火にあたっ
ていました。ペトロの様子についてはしばらく置いておくこととして、この後、
裁判の進行に目を向けていきましょう。
55-56節「祭司長たちと最高法院の全員は、死刑にするためイエスにとって
不利な証言を求めたが、得られなかった。多くの者がイエスに不利な偽証をし
たが、その証言は食い違っていたからである。」
サンヒドリンは、イエスを死刑にするかどうかを決するために集まりました。
サンヒドリンは裁判権を有しています。しかし、人を死刑にするかどうか、と
いう重大な裁判を行う際に、当時のミシュナーで定められた手続きと、新約聖
書で伝えられるイエスの裁判とはずいぶんと食い違っています。その違いは27
件に上ると言われていますが、その中の大きなものをいくつか挙げると、当時
のサンヒドリンにはそもそも「死刑を執行する」権限はありませんでした。ま
た、このように重大な裁判が、夜、しかもパスカの最中に行われることは考え
られないことでした。さらに、仮にそのような状況で裁判が実施されたとして
も、審問は、全員によってではなく、律法学者抜きで行われました。サンヒド
リンによるイエス裁判は本当にあったのか、という疑問さえ提起される状況で
す。が、ある新約学者(R.Brown)は、サンヒドリンはイエス逮捕前に集まって
事前に段取っていたのではないか、とする説を唱えています。だとすると、合
意の上で、特例的な裁判が行われたのかもしれません。
さて、サンヒドリンが、「死刑の執行権はなかったとしても、死刑判決を下
す権限はあった」とすると、死刑判決はあり得ます。死刑判決を下すことがで
きるとすれば、それは冒瀆罪においてです。冒瀆とは、そもそもは十戒の第三
戒において禁じられている「主の名をみだりに唱える」ことですが、本日の旧約
書に詳しく述べられている通り、石打ちの刑をもって処せらせることとなって
いました。実際の裁判においてはどうだったでしょうか。イエス当時のユダヤ
教では、言葉だけでなく、不信仰な行動をもって神の教訓を否定する、と見ら
れたとき、冒瀆罪とされました。まず、証言が集められねばなりません。申命
記19:15の規定により、二人ないし三人の証言が集められます。実際の運用に
関連してですが、イエス当時のクムラン教団の規定に、金銭の問題に関しては
(証人は)二人以上、死刑に関しては三人以上、という規定があります。さらに、
クムランにおいては、証人は20歳以上でなければなりませんでした。イエス裁
判においても、似た規定だったと考えられます。こうして集められた証人が証
言をしましたが、食い違い、イエスに死刑判決を下すには至らなかったのです。
そのうち、一つの論点が浮かび上がってきました。
57-59節「すると、数人の者が立ち上がって、イエスに不利な証言をした。
『この男が、「わたしは人間の手で造ったこの神殿を打ち倒し、三日あれば、
手で造らない別の神殿を建ててみせる」と言うのを、わたしたちは聞きました。』
しかし、この場合も、彼らの証言食い違った。」
神殿は神聖な場所ですから、人が「わたしは人間の手で造ったこの神殿を打
ち倒し、三日あれば、手で造らない別の神殿を建ててみせる」と言ったとすれ
ば、それは、「言葉による冒瀆」になる可能性はあります。すなわち、神殿を
ただの人間の手によるものに貶め、自分を神殿の造り手に仕立て上げるのです
から…。しかし、別の角度から見れば、神殿はあくまでも礼拝を献げるための
場です。イスラエルの歴史において初めて恒久的な神殿を造営したソロモンは、
その豪華賢覧な神殿造営に際して、次のように祈りました。
「神は果たして地上にお住まいになるでしょうか。天も天の父もあなたをお
納めすることはできません。わたしが建てたこの神殿など、なおふさわしくあ
りません。わが神、主よ、ただ僕の祈りと願いとを顧みて、今日僕が御前にさ
さげる叫びと祈りを聞き届けてください…(列王記上8:27-28)。」
神殿においては、まことの礼拝が守られることが第一です。そのために、絶
えず神殿改革がなされ続けてきました。イエスの時代にも、大祭司カイアファ
自身が神殿改革を試みています。よって、神殿を壊して建てる、と言ったとし
ても、その言葉をもって冒瀆罪で訴追するには無理があります。しかも、証言
は食い違いました。
イエスは、確かに神殿の崩壊を予告されました(13:2)。が、それは神殿改革
に止まらず、神殿礼拝のシステムそのものの崩壊と、そして新しい礼拝の始ま
りを宣言するものだったのです。
イエスを死刑に訴追するための第一の試みは失敗しました。しかし、ここで
大祭司による尋問が行われ、その尋問へのお答えによって、イエスは訴追され
ることとなったのです。
(続)
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