2012年05月20日

〔マルコによる福音書講解説教〕

第80回「マルコによる福音書14章26〜52 節」
(11/03/27)(その3)
(承前)

 ペトロは、十二人の一人に任命されてペトロと呼ばれるようになって以来
(3:16〜)、ペトロ(岩)と呼ばれ続けてきました。が、ここに来て、元の名シモ
ンに戻ってしまいました。目を覚まして祈っていないと、誘惑、これはサタン
の誘惑を指します(1:13)、に陥ってしまいます。ただの人に戻ってしまうので
す。心は燃えても、正確に訳せば、魂は熱しているつもりになっていても、肉
体において、目を覚まして祈るという行為が伴わなければ、神との一体性を保
つことはできず、受難には到底耐えられないのです。
 かつて、初代教会において、受洗志願者は、受難節を準備の時として、イー
スターの受洗に備えました。その準備とは、学びだけではありません。徹夜祈
祷会、断食でした。そして、多くの者が、学びにおいてではなく、徹夜祈祷会
での居眠りによって脱落してしまった、とのことです。このような準備があっ
て初めて、イエスの受難に共に与り、イエスの復活の喜び(14:28)に共に与るこ
とができるのではないでしょうか。結局、受難に向けて何の準備もできずにい
た弟子たちは、その時、蜘蛛の子を散らすがごとく逃げ出すこととなってしま
いました。イエスのお見通しとおりの結果でした。
 最後に、群衆の罪、傍観者の罪に触れています。

43〜52節「さて、イエスがまだ話しておられると、十二人の一人であるユダが
進み寄って来た。祭司長、律法学者、長老たちの遣わした群衆も、剣や棒を持っ
て一緒に来た。イエスを裏切ろうとしていたユダは、『わたしが接吻するのが、
その人だ。捕まえて、逃がさないように連れて行け』と前もって合図を決めて
いた。ユダはやって来るとすぐに、イエスに近寄り、『先生』と言って接吻し
た。人々は、イエスに手をかけて捕らえた。居合わせた人々のうちのある者が、
剣を抜いて大祭司の手下に打ってかかり、片方の耳を切り落とした。そこで、
イエスは彼らに言われた。『まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って
捕らえに来たのか。わたしは毎日、神殿の境内で一緒に教えていたのに、あな
たたちはわたしを捕らえなかった。しかし、これは聖書の言葉が実現するため
である。』弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。一人の若者が、
素肌に亜麻布をまとってイエスについて来ていた。人々が捕らえようとすると、
亜麻布を捨てて裸で逃げてしまった。」

 いよいよ、受難の時の始まり、イエス逮捕の時を迎えてしまいました。主導
者はユダでした。ユダは「わたしが接吻するのが、その人だ。捕まえて、逃が
さないように連れて行け」とイエス逮捕の段取りを決めていました。そしてそ
の通りに行いました。マルコは、ユダの行為について、翻訳では「裏切り」と
訳していますが、実は一貫して「引渡し」と呼んでいます。明確な意志を持っ
た、神の国の完成を妨害する行為であることを明らかにするためです。
 が、実際に逮捕しに来たのは、祭司長、律法学者、長老たち、すなわちサン
ヒドリンの議員本人ではなく、その遣わした群衆でした。群衆は、イエスの教
えに心打たれていたはずなのに(11:18)、いとも簡単に寝返るのです。そして、
罪を犯したという自覚なしに、大きな罪を平気で犯すのです。
 もちろん中には、イエスに味方しようとした者もおりました。ある者は剣を
抜いて大祭司の手下に打ってかかり、片方の耳を切り落としました。イエスに
味方しようとして行ったことかもしれませんが、イエスのみ心と、すなわち神
のみ心と関係なしに行われた行為は、何の役にも立ちませんで、復讐という悪、
罪を重ねる結果しかもたらしませんでした。
 亜麻布一枚だけを羽織って、ともかくイエスについて来た若者がいました。
この人は、裕福な家庭の人だとか、祭司の出では、などいろいろ推測がなされ
ましたが、たとえどんなに有力な出自をもっていたとしても、何の役にも立ち
ませんでした。とにもかくにも、イエスと関わりを持ち、イエスを通して示さ
れた神のみ心を行おうとしない限り、救いの喜びへの道は開けないのです。
 私たちは、どこにいるのでしょうか、受難物語をさらに読み進めてまいりま
しょう。(続)


第81回「マルコによる福音書14章53〜72節」
(11/04/03)(その1)

53節「人々は、イエスを大祭司のところへ連れて行った。祭司長、長老、律法
学者たちが皆集まってきた。ペトロは遠く離れてイエスに従い、大祭司の屋敷
の中庭まで入って、下役たちと一緒に座って、火にあたっていた。」

 いよいよ、サンヒドリンにおけるイエスの裁判が始まりました。弟子たちは
皆、イエスを見捨てて逃げてしまったのですが(50節)、ペトロだけは、「遠く
離れて」イエスに従っていました。本日は、裁判の動きと、ペトロの動きとを
複眼的に見ていくことと致しましょう。
 ところで、当時の大祭司はカイアファ(A.D.18-36在位)、サンヒドリンの議長
でした。祭司長たち、律法学者たちに加えて、長老たちが加わっているところ
からして、この会議が正式の会議だったことがわかります。

(続)


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