2012年04月01日

〔マルコによる福音書講解説教〕

第77回「マルコによる福音書14章1〜11節」
(11/03/06)(その2)
(承前)

 ヨセフスはこの二つの祭りを併せて「種入れぬパンの祭り」と呼んでいます。
イエスの時代、すなわち第二神殿時代の祭りの日程は次のとおりです。祭りの
前日、ニサンの月の14日、小羊が屠られ、神殿に奉納され、肉はその日の中に
食されます。これが、セデルと呼ばれる過越の食事です。なお、ユダヤの暦で
は、日没と共に日が替わりますので、セデルはニサンの月の15日、過越祭の初
日の最初の行事ということになります。そしてその後は特別の行事はなく、21
日までの7日間にわたって、種入れぬパンを食べ続けるのです。その過越祭、除
酵祭の二日前のことですから、12日のことと考えられなくもありませんが、た
ぶん13日、祭司長たちや律法学者たちの、イエス殺害計画が具体化したのです。
 しかし、彼らが過越祭、除酵祭の時期に、イエス殺害計画を具体化させたか
らといって、過越祭にかこつけて、たとえばイエスを過越祭に屠られる小羊に
なぞらえる、といった意味合いをもって計画を進めていたか、と言うと、そう
ではなさそうです。

 2節「彼らは、『民衆が騒ぎ出すといけないから、祭りの間はやめておこう』
と言っていた。」

 むしろ、彼らは、民衆や巡礼者の騒ぎを恐れて、祭りの間の期間を避けよう、
と考えていました。このような彼らの心配を、1節の「何とか計略を用いて」
という指摘を重ね合わせて考えてみると、イエス殺害計画は、神学的根拠を
もった、サンヒドリンの公式見解によるものではなく、サンヒドリンの一部の
議員が、敵意から企てたものと推測されます。このマルコの記述が確かだとす
ると、イエス殺害計画は、イエスと当時のユダヤ教との対立が根底にあるとは
言え、そこからストレートに生じたものではなく、敵意という、人間の感情に
深く根ざした罪から生じてきたことが明らかとなるのではないでしょうか。
 なお、彼らはイエス殺害計画を祭りの後に計画していたと考えられます。な
ぜなら、祭りの間を避けたとしても、祭りの前には巡礼者が多く集まっていた
と考えられるからです。しかし、実際には、祭りの真っ最中に、イエス殺害計
画が実行されることとなりました。十二人の一人、イスカリオテのユダの裏切
りが加わったためでした。
 こうして、水面下でイエス殺害計画が進行する中、イエスは十字架の意味を
明らかにされました。

 3-5節「イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家にいて、食事の席に着
いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石
こうの壷を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。そこに
いた人の何人かが、憤慨して互いに言った。『なぜ、こんなに香油を無駄遣い
したのか。この香油は、三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すこと
ができたのに。』そして、彼女を厳しくとがめた。」

 イエスが、エルサレム上京の際に、宿をとっておられたベタニアでの出来事
です。イエスは、重い皮膚病の人、シモンの家にいました。このシモンは、マ
ルコでは「初出」であり、なおかつ以後登場しません。どのような人だったか、
全く分かりません。イエスとの関係も分かりません。しかし、イエスがその人
の家にいて、食事の席についていたこと自体が、イエスの神の国の宣教を集約
している、と言えます。すなわち、従来のユダヤ教では、「罪あり」として排
除されてきた人々、重い皮膚病の人はその典型ですが、も、新しい神の国の教
会のメンバーとして招き入れられているということです。
 さて、このような、神の国の教会の先がけとも言えるこの場所に、「一人の
女」がやって来ました。名前は伝えられていません。彼女は、「純粋で非常に
高価なナルドの香油」なるものが入った石こうの壷を持ち、壷を壊して香油を
イエスの頭に注ぎました。不思議な行為です。まず、彼女がイエスの頭に注い
だものは何だったのでしょうか。ナルドとはインド原産の甘松のことで、原料
を指しています。非常に高価だ、ということもよく分かります。が、「純粋な」
と訳されている語、「液体の」という意味の語とも読め、さらに「香料」と訳
されている語は「軟膏」とも訳せますので、彼女の持って来た物は、「純粋な
香油」ではなく、「液体の軟膏」であった可能性もあります。どうやら、化粧
品のようです。
 第二に、彼女がそれをイエスに注ぎかけた理由は何でしょうか。油を注ぐ行
為は、本日の旧約書によれば、祝福と愛情のしるしです。彼女はたぶん、愛情
のしるしとして、イエスに香油ないしは液体状の軟膏を注ぎかけたのではない
でしょうか。
 しかし、そこにいたすべての人が、それをほほえましい行為として受け止め
たのではなく、何人かの人々は、その行為を「無駄遣い」と断定し、「その香
油を換金して貧しい人に施す」という提案をしたのでした。イエスに対するね
たみもあったかもしれません。しかし、おそらく彼らは、律法の観点から、個
人的愛情よりも施しという善行を優先すべきことを主張したのです。

(続)


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