2012年03月11日

〔マルコによる福音書講解説教〕

第75回「マルコによる福音書13章21〜27 節」
(11/2/20)(その3)
(承前)

 ガラテヤ教会の指導者は、まさに偽預言者でした。教会においては、偽預言
者を見分ける基準は、十字架の恵みにただひたすらにしがみついているかどう
か、です。
 が、新しい神の国の教会の時代が始まると、偽キリスト(偽メシア)が現れて
くる、とイエスは言われます。偽キリストに対しては、教会は対応に苦慮する
こととなります。すべての民が教会に招かれ、他の神々が脅威でなくなった時
代においても、サタンの王国は健在で、サタンに派遣された偽キリストが、選
ばれた者を反キリストに招くからです。マルコによる福音書では、偽キリスト
がいる、としか言われていませんが、ヨハネによる福音書では、イエスによっ
て、ユダヤ人が悪魔の子である、とされ(8:44)、十二人の一人、イスカリオテ
のユダにサタンが入ったとされています(13:27)。偽キリストは、教会の外で
はなく、中で、しかも周辺部ではなく中心部で、選ばれた者を標的に活動しま
す。偽キリストに対抗するためには、ただひたすらに加えて、十字架の恵みに
「しっかりと」しがみついていることが必要となります。
 さて、こうした偽預言者、偽キリストの荒波にもまれつつも、この時に至る
と、選ばれた者たちは、主のご栄光を垣間見ることが許されることとなります。

 24-27節「それらの日には、このような苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を
放たず、星は空から落ち、天使は揺り動かされる。そのとき、人の子が大いな
る力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。そのとき、人の子は天
使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四
方から呼び集める。」

 本来、イエスのご栄光の姿は、人が見ることを許されないものです。それゆ
え、イエスは、旧約聖書の言語を用いて、しかも比喩を用いてお語りになられ
ました。
 まず、イエスは、ダニエル書7:13で、「雲に乗った人の子(ダニエル書では、
「人の子のような者」)」として描かれる、「終末時に神から遣わされる者」の
お姿で、来られます。天体の変動に関しては、イザヤ書24:23で触れられていま
す。神がお力をお示しになられる時は、天地が揺らぐのです。
 しかし、その後の部分、27節は、旧約聖書以来ユダヤ教で用いられてきたイ
メージを用いられながらも、イエスは旧約聖書を離れて語られます。ダニエル
書では、「人の子」の使命は裁くこと、サタンの支配を終わらせることでした
が、イエスはさらに先に進まれます。「四方から」と記されているところ、原
文では「四つの風に乗せて」です。「四つの風」とは、ユダヤ教黙示文学では、
地上の恵みを破壊する風でした。しかし、イエスは、この風を救いのために用
いられるのです。天と地の四隅から、天にある聖なる者たち、地の選ばれた者
を集め、神と共にいさせてくださいます。これが終末の出来事の結末となる出
来事なのです。
 さて、十二人は、この主のご栄光のお姿を見ることができたのでしょうか。
サタンに捉えられる者さえ出した十二人ですが、間もなく、主の復活のお姿に
出会い、主のご栄光のお姿を垣間見ることとなります。そして、大いなる力を
得、教会形成に励むのです。
 神の国、神の支配の実現に際して、いろいろなことが起こります。しかし、
主の最終目的は、ご栄光の中に、選ばれし者を、世界の隅々から集めて、み許
に憩わせることです。そのことを覚え、今や「ただひたすらに」そして「しっ
かりと」主にしがみついて行く者でありたい、と願う者です。

(完)


第76回「マルコによる福音書13章28〜37節」
(11/2/27)(その1)

 28節「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、芽が伸びる
と、夏が近づいたことが分かる。」

 神殿崩壊を始めとする、終末の出来事についての、イエスの預言は終わりま
した。あとは、この預言をどのように受け止めて生きるか、です。テサロニケ
の信徒への手紙二2:2に「主の日が既に来てしまったかのように言う者がいて
も、すぐに動揺して分別を無くしたり、慌てふためいたりしないでほしい」と
記されているごとく、使徒パウロの時代にも、終末の日が近い、と聞くと、動
揺のあまり、分別を無くしたり、慌てふためいたりする者がいたようです。ま
た、同じテサロニケの信徒への手紙二3章によれば、逆に、終末が近いならば
働いても無駄だ、と考えたからでしょうか、怠惰な生活を送る者がいたとのこ
とです。このような、一方ではうろたえ、一方では怠惰に堕すという反応に対
して、パウロは「しっかり立ちなさい(Uテサロニケ2:5)」と忠告します。
イエスの弟子たちはどうだったでしょうか。弟子たちの反応は、記されていな
いのでわかりませんが、イエスの警告は、パウロの延長線にありました。イエ
スの警告を詳しく見ていきましょう。
 まず最初に、イエスは「いちじくの木から教えを学びなさい」と言われます。
「教え」と訳されていますが、原文は「たとえ」です。「たとえ」とは、本来
は「格言」の意味です。それでは「いちじくの格言」とは何なのでしょうか。

(続)



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