2012年02月19日

〔マルコによる福音書講解説教〕

第73回「マルコによる福音書13章9〜13節」
(11/2/6)(その3)
(承前)

 しかし、この試練は、神の国、神の支配が成るための、産みの苦しみですか
ら、実に厳しいものがあります。12節に記されている事柄は、ユダヤ教の文献、
Wエズラ5:9にも記されていることでして、神殿崩壊とは関係がないように思
われるかも知れません。しかし、十二人の内部でもイスカリオテのユダという
決定的裏切り者を生み出したごとく、イエスに従う者たちの間でも、内部崩壊、
分裂が起こるやも知れません。そして、残された者は、最終的には、全くの孤
独に陥るやも知れません。しかし、それでも耐え抜きなさい。最後まで、完全
に耐え抜きなさい、とイエスは言われます。しかし、どうしてそのようなこと
が可能でしょうか。それは、イエスを見上げることによってのみ可能です。イ
エスはこの後、十字架上にて、神に見捨てられ、あらゆる罪と悪に対する罵声
を受けて死なれ、しかもよみがえられました。このイエスの苦難と忍耐とによっ
て、神の国、神の支配が完成したのです。ですから、私たちも、十二人にも遥
かに及ばない者ではありますが、イエスに従う者の端くれとして、忍耐をもっ
て歩んで行く者でありたい、と願う者です。

(完)


第74回「マルコによる福音書13章14〜20節」
(11/2/13)(その1)

 14節「憎むべき破壊者が立ってはならない所に立つのを見たら、―読者は悟
れ―、そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。」

 イエスの、四人の弟子たちに対する神殿崩壊に纏わる出来事についての説教
が続きます。
 神殿崩壊そのものは、歴史上の出来事ですが、それは同時に、神が歴史を区
切られて、新しい時代、神の国、神の支配の時代を始められるしるしです。
 つまり、預言者たちによって言い始められ、ユダヤ教によって受け継がれて
きた終末の出来事の先駆けが神殿崩壊なのです。
 これまでも触れられたように、古から終末の出来事とされてきたことが、神
殿崩壊に伴って次々と起こることがイエスによって預言されます。
 「憎むべき破壊者」、あたかも人であるかのように訳されていますが、原文
は、「協会訳」が「荒らす憎むべきもの」と約しているように、あくまでも
「もの」です。そしてこの語は、ダニエル書9:27、11:31、12:11に出てきます。
それらの箇所では、アンティオコス・エピファネスが、エルサレムの神殿で、
焼き尽くす献げ物を献げる祭壇の上に建てた、異教の祭壇のことを指します。
つまり、「憎むべきものが立ってはならない所に立つ」とは、神殿冒瀆のことで
す。イエスは、神殿崩壊に伴って、そういうことが起こる、と言われます。実
際、それは紀元後40年のことですが、カリグラ帝が自分の像をエルサレムの神
殿に建てよう、としたことがありました。
 しかし、14節後半にも見られるごとく、この出来事に対する、イエスの十二
人、そして弟子たちへの勧めは逃亡です。出来事が神殿冒瀆だとしたら、逃げ
る必要はないのではないでしょうか。ここで、「読者は悟れ」という注意書き
が、この出来事が意味するところを推測する手がかりとなるでしょう。「読者
は悟れ」とは、「読者は分かっている、」しかも「隠された意味を分かってい
る」という意味です。後にローマ帝国の弾圧に苦しんだキリスト教会は、ロー
マ帝国に関わる事柄を、暗号で表現しました。その名残は、テサロニケの信徒
への手紙二2:6や、ヨハネの黙示録13:18に窺えます。これらも考え合わせると、
イエスは、ローマによる包囲攻撃を預言された、と考えられます。預言者の預
言どおり、さらにそれ以上のことが起こる、というのです。
 実際、イエスの預言どおり、紀元後70年、ユダヤ戦争に際し、エルサレムは
ローマ軍によって包囲攻撃されました。その時の状況は、ヨセフスによれば、
次の通りです。すでに、反乱は67年に始まっていましたが、ローマ軍による包
囲攻撃が始まる前、追い詰められたユダヤ軍は、69年秋から90年春にかけて、
三派に分かれての内部抗争をくりかえし、一方、神殿の至聖所はすでに、内乱
の犠牲者の納骨堂となっていたとのことです。そんな中、70年春、過越祭のこ
ろ、ローマの将軍ティトゥスの軍団が、エルサレムに到着しました。それでも、
ユダヤ軍は内部抗争をやめず、「裏切り者の処刑」を行っていたようです。ティ
トゥスは、エルサレムの第三城壁の北に二軍団、東西に一軍団を配置して、エ
ルサレムを包囲しました。ユダヤ軍はやっと統一しましたが、多勢に無勢(6万
対1万)、5月までには、第二、第三城壁も突破され、7月下旬には、ユダヤ軍は
神殿の中だけに追い詰められました。8月、ユダヤ軍自らが、神殿の柱廊の北西
側に火を放ってしまいます。二日後、ローマ軍も火を放ち、8月中旬から下旬
にかけて、至聖所以外はすべて炎上し、反乱軍は、至聖所に追い詰められてし
まいました。ティトゥスは、ヨセフスによれば、「至聖所だけは救いたい」との
意向を持っていたとのことですが、指揮官たちが「エルサレムに神殿が立つ限
り、ユダヤ人は世界各地からやって来て、くりかえし反乱を起こすであろう」
と口々に言い、ついに8月末、至聖所に火が放たれました。

(続)


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