2012年02月12日

〔マルコによる福音書講解説教〕

〔マルコによる福音書講解説教〕
第73回「マルコによる福音書13章9〜13節」
(11/2/6)(その2)
(承前)

 もちろん、イエスご自身の宣教の時代には、十二人が鞭打ち刑に遭うことは
ありませんでしたが、十二人がいよいよ神の国の教会建設の使命に立ち上がっ
た時には、会堂(シナゴグ)で鞭打ち刑に処せられるであろうことは、当然のこ
ととして予測されたのです。
 後半は、この世の権力、ローマ帝国による迫害を予告した言葉です。総督と
は、ローマが各州に派遣した、ローマの官僚としての総督を指します。王とは、
国の元首である王一般ではなく、ヘロデ大王がそうであったように、ローマ帝
国が属国において任命した王のことです。彼らもやはりローマの手先です。神
の国の教会の建設に着手されたイエス、そしてイエスに従う十二人は、神の国、
神の支配の実現のために一歩を踏み出しました。すると、最後通牒を言い渡さ
れたユダヤ教だけでなく、神の国、神の支配の対極にある地の国、地の支配者
たるローマ帝国は、自分の権力を守るために、神の国の教会建設に激しく抵抗
し、イエスに従う者、十二人を迫害するのです。ローマ帝国による十二人に続
く使徒たちへの迫害は、この後、さらに激しさを増し、300年間に亘って続く
こととなりました。
 もちろん、イエスの時代に、イエスに対して、また、十二人に対して、ロー
マ帝国の迫害があったわけではありません。しかし、イエスご自身、ローマ帝
国に連なる地の国、地の権力の抵抗には直面しておられます。ガリラヤの領主
ヘロデ・アンティパスが、バプテスマのヨハネを、散々弄んだ末、惨殺した事件
は、それが表面化した出来事でした。
 実際に使徒パウロが体験したように、イエスに従う者たちにはローマ帝国の
前で証言することが求められます。しかし、相手は生殺与奪の権をもつ国家権
力ですから、証言は、証言のみで終わるとは限りません。しばしば殉教に至り
ます。ギリシア語の、証言を意味するマルテュリオンの語は、殉教者を意味す
るマルチルの語の語源となっています。
 しかし、十二人、そしてイエスに従う者は、なぜ殉教にまで至るような迫害
という試練に耐えなければならないのでしょうか。

 10節「しかし、まず、福音があらゆる民に宣べ伝えられねばならない。」

 イエスがゲラサ地方へ行かれて、悪霊祓いをされたのは何のためだったので
しょうか。ティルスからシドンを経て、大回りでガリラヤ湖東岸へ行かれたの
は何のためだったのでしょうか。異邦人に神の国、神の支配の到来を告げる異
邦人伝道のためでした。さらに、宮きよめを経て、イエスがユダヤ教と訣別さ
れた、その決定的な分岐点は何だったのでしょうか。それは、結局はユダヤ人
の救いのみに固執するユダヤ教に対して、イエスが「わたしの家は、すべての
国の人の祈りの家と呼ばれるべきである」との旧約聖書のみ言葉に立って、今
まで救いから漏れているとされてきた異邦人に救いがもたらされることこそ、
神の国、神の支配の始まりの真髄であるとされた、その点にあるのではないで
しょうか。イエスは、「神の国の教会形成のための具体的目標は、異邦人伝道
にあり」とされたのです。この異邦人伝道に対して、ユダヤ教の側からは「異
邦人に救いをもたらす必要はない」と言って、ローマ帝国の側からは「神の国
などという余計なことを言ってくれるな」と言って、それぞれ激しい抵抗と、
そして迫害とが起こるのです。
 十二人は、そしてイエスに従う者は、この試練の時をどのようにしたら乗り
越えることができるのでしょうか。

 11-13節「引き渡され、連れて行かれるとき、何を言おうかと取り越し苦労
をしてはならない。そのときには、教えられることを話せばよい。実は、話す
のはあなたがたではなく、聖霊なのだ。兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、
子は親に反抗して殺すだろう。また、わたしの名のために、あなたがたはすべ
ての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」

 すでに、旧約聖書の時代、預言者たちが危機に瀕したとき、神の霊が特別な
力をもって、彼らを救ってくれました。列王記上18:12では、主の霊が預言者
エリヤの危機を、列王記下2:16では、主の霊がエリシャの危機を救っています。
イエスはこれらの事例を踏まえ、迫害を受ける者に、神の霊の助けのあること
を言っておられるのです。マルコによる福音書では、「聖霊」という語が、他
に3:29、12:36で用いられていますが、そのどちらも、ヨハネによる福音書や
使徒言行録に見られるような、イエスが天に上げられた後に天から遣わされる
「助け主」や「聖霊」の意味ではありません。神から遣わされる霊のことです。
ですからここでも、聖霊降臨の後ではなくとも、迫害に遭う者に神の霊の助け
があることが言われているのです。とは言え、ペンテコステ後に、イエスがお
られないがゆえに、より強く働いた聖霊の助けの下で、十二人は何と心強かっ
たことでしょうか。地上のイエスの時代の十二人と同一人物であるとは思えな
いくらい、力強く迫害に耐え抜いていったのです。

(続)


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