2011年11月13日
〔マルコによる福音書講解説教〕
第66回「マルコによる福音書12章13〜17
節」
(10/12/12)(その1)
13-14節「さて、人々は、イエスの言葉じりをとらえて陥れようと
して、ファリサイ派やヘロデ派の人を数人イエスのところに遣わし
た。彼らは来て、イエスに言った。『先生、わたしたちは、あなた
が真実な方で、だれをもはばからない方であることを知っています。
人々を分け隔てせず、真理に基づいて神の道を教えておられるから
です。ところで、皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょ
うか。適っていないでしょうか。納めるべきでしょうか。納めては
ならないでしょうか。』」
宮きよめにおける、イエスのご意思を確認して、サンヒドリンの
意思も固まりました。「イエスを死刑にする」です。そこで、宮き
よめがイエスとの初対面であるサンヒドリンの議員たちは、イエス
に死刑判決を下すに値するだけの訴追材料を捜すこととなります。
本日のテキストはその訴追材料捜しの第一弾で、ファリサイ派とヘ
ロデ派が遣わされて、ローマ皇帝への納税の是非をイエスに問いた
だすところです。
ところが、人々がイエスを死刑にしようとしているにしては、緊
迫感がないのです。それゆえ、この出来事は、別の時、別の状況で
起きた、と考える人がいます。つまり、この出来事が、このエルサ
レムで、サンヒドリンの訴追材料捜しの中で起こったとするには、
いくつかの点で無理があると言うのです。
第一は、ファリサイ派とヘロデ派が一緒にイエスの許へ行ったと
いう点です。ヘロデ派とは、ヘロデ大王とその息子たちを支持する
一派です。ユダヤ教の教派ではなく、政治的党派です。この頃は、
ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスの周辺にいました。ガリラヤ
では、ファリサイ派とヘロデ派が組んでイエスを殺そうとしたこと
がありましたが、ローマ総督支配下のエルサレムにおいて、そもそ
もヘロデ派がいたのかどうか、いたとしても、サンヒドリンの手先
となって働くことがあったかどうか、はなはだ疑問です。この出来
事は、サンヒドリンの訴追とは関係なく、ガリラヤで起こったこと
で、文脈上関連があるのでここに書かれているだけ、と考えた方が
自然だ、ということです。
第二に、皇帝への納税が律法に適っているか、という問いそのも
のが、サンヒドリンがイエスを訴追するための問いとしては無理が
ある、というのです。当時、「ローマに税金を納めることは、神の
意思に反する」とする考え方があったことは確かです。しかし、ラ
ビたちの間で、それを明確な律法違反とする、という合意はできて
いません。明確な律法違反なしに、イエスを死罪に訴追することは
できません。
また、よく、この箇所を、イエスが「納税するな」と答えた場合、
質問者が直ちにローマ当局に反逆罪で告発する用意があったかのよ
うに解釈する人がいますが、質問者の背後にサンヒドリンがいたと
すると、サンヒドリンにそういう意図があったかどうか、これまた
はなはだ疑問です。なぜなら、サンヒドリンは、自分たちの手でイ
エスを死刑にしよう、と裁判を行っているからです(14:53〜)。
そもそも、納税論争は、ユダヤがローマの植民地である以上、避
けられない議論でした。納税やむなし派と納税ダメ派の間で繰り広
げられた論争が、形を変えてここに掲載されている、とも考えられ
ます。
以上、「本日の出来事がその時そこで起こった」と受け止める立
場は、風前の灯火なのですが、本日は、あえてこの少数派の立場に
立って、解釈の可能性を探ってまいりたいと思います。
第一に、ヘロデ派がサンヒドリンの手先になりうるか、との疑問
に対してですが、実は、ファリサイ派とヘロデ派には、意外な結び
つきがあることが明らかになっています。3:1-6では、ファリサイ派
とヘロデ派とが、「イエスを殺そう」という一点だけで結びついて
いたことは確かです。しかし、ファリサイ派とヘロデ派との間には、
それ以前から別の緊密な結びつきがありました。かつてヘロデ大王
がなしたたくさんの事業の中に、バテュラという町の建設がありま
した。この町は、ガリラヤの北、トラコニテスに接する国境の町で
す。バビロニア出身のユダヤ人を私兵として入植させた、とも言わ
れていますが、軍事上の必要から造った要塞の町です。ところが、
ヘロデ大王は、なぜかこの町にファリサイ派のラビたちを集め、住
まわせ、免税の特権まで与えました。ファリサイ派は恩義を感じ、
ヘロデを支援したとのことです。ゆえに、ファリサイ派とヘロデ派
は、税金問題に関し、免税を確保したいという点で、方向性を一つ
としていました。ファリサイ派を仲介して、ヘロデ派もサンヒドリ
ンの手先として一緒にイエスのところへ出かけた、ということもあ
り得るのです。
第二に、「あの質問」が、イエスへの訴追の材料になりうるのか、
という点についてですが、もしも、サンヒドリンの中に、後にゼー
ロータイと呼ばれるグループに同調する、ないしは共感する雰囲気
があったとするならば、なり得たのではないか、ということです。
(この項、続く)
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