2011年10月16日
〔マルコによる福音書講解説教〕
第64回「マルコによる福音書11章27-33
節」
(10/11/28)(その1)
27節「一行はまたエルサレムに来た。イエスが神殿の境内を歩い
ておられると、祭司長、律法学者、長老たちがやって来て、言った。
『何の権威で、このようなことをしているのか。だれが、そうする
権威を与えたのか。』」
枯れたいちじくの木を確認した後、一行、イエスと十二人はまた、
三度目にエルサレムに入りました。宮きよめの次の日のことです。
イエスが神殿の境内を歩いておられると、そこへ祭司長たち(原文で
は複数)、律法学者たち(これも複数)、そして長老たちがやって来ま
した。原文では「イエスの近くに寄って来た」ですが、これらの人々
は何者で、そして何のためにイエスの近くへ寄って来たのでしょう
か。
まず、祭司長たちです。原語ではアルキエレイスと言います。が、
アルキエレイスは複数形で、単数形はアルキエリュースと言います。
そして「大祭司」と訳されます。大祭司とは、何者なのでしょうか。
出エジプトの際に、移動式の 幕屋が神の礼拝所として定められる
と、十二部族の中で、モーセの兄アロンの子孫、すなわちレビ族が
祭司の家系として定められ、専ら祭儀に仕えて来ました(出エジプト
記28:1)。この祭司制度は、神殿が献納されてからも、そのまま継続
されました(列王記上8章)。この祭司たちのリーダーこそ大祭司では
ないか、という大方の予測に反し、その者は大祭司とは呼ばれず、
「同僚の祭司たちの上位の者」とだけ呼ばれていました。ゆえに、
旧約聖書では、大祭司という名はほとんど出てきません。
それでは、大祭司という名称、立場は一体どこから出てきたので
しょうか。名称に関しては、なんとギリシア起源でした。セレウコ
ス朝シリア、プトレマイオス朝エジプトでは、地方地方の祭司のリー
ダー(もちろん異教の)のことを大祭司と呼んでいたのです。ユダヤ
の祭司のリーダーが大祭司と呼ばれるようになったのは、歴史上確
かなところでは、ユダス・マカベアスの反乱以降のことです。紀元
前168年、当時ユダヤを占領していたセレウコス朝シリアの王、ア
ンティオコス・エピファネスW世が、エルサレムの神殿を冒瀆しま
した。これに強く反発したユダヤ人は、祭司の家柄であるマカベア
家(ハスモン家)をリーダーとして、反乱軍を組織し、紀元前164年、
マカベア家のユダス・マカベアスの指揮の下、エルサレムを解放し、
神殿を清めました。これ以降、マカベア家が、ユダヤの政治的、宗
教的指導者となったのです。このユダス・マカベアスの二代あと、
シモンは、民衆から確かに「大祭司」の称号を受けました。そして、
シモンの子、ヨハネ・ヒルカノスは、大祭司の称号と共に、王の称
号をも受けました。これ以後、マカベア家が大祭司兼王として、ユ
ダヤを支配することとなります。ヘロデの時代、大祭司はマカベア
家の筋から離れ、王の称号も奪われますが、政治的、宗教的指導者
としの大祭司は、イエスの時代まで確かにいました。ゆえに、ユダ
ヤにおいて、大祭司とは、祭司たちのリーダーとして、祭儀におい
て神と人とをとりなす最重要人物であると同時に、政治的にも重要
な人物であった、ということです。ヘロデの時代、すでに王の称号
はありませんでしたが、サンヒドリンという71人からなる議会の議
長として、裁判権は握っていたのです。
で、祭司長たち(アルキエレイス)ですが、以上のようなわけで、
大祭司職がマカベア家を離れたことにより、大祭司は頻繁に交代し
ました。ゆえに、現職だけでなく、前職、元職の大祭司たちがおり、
総称して「祭司長たち」と呼ばれるようになりました。さらにそれ
に加えて、大祭司たちの一族も「祭司長たち」に含まれます。サン
ヒドリンの重要メンバーです。もちろん、裁判権も持っています。
律法学者たちについては、講解説教第十三回で詳しく触れました。
律法学者は、原語では「書記」です。ギリシアにおける書記は、法
律に通じ、町の人々を指導する権限を持った高位の役人です。それ
と同じく、律法学者は、モーセの律法に関して正規の教育を受け、
資格を取った人物で、律法違反がないかどうか、チェックして判断
する人でした。彼らは、イエスのガリラヤ伝道に際し、すでに多く
のチェックを入れていました(2:6など)。が、ここエルサレムでは、
彼らはサンヒドリンの重要な一員として、イエスを実際に裁く権限
を持って、イエスに臨むこととなります。
第三に長老たちです。マルコでは、実際に登場するのは、ここが
初めてです。しかし、旧約聖書では、出エジプトの際の70人の長老
(出エジプト記24:1)に始まり、イスラエル民族の部族政治では、大
きな役割を果たしてきました。町のリーダーとして裁きを行いまし
た(出エジプト記18章)。ルツ記にもその名残が見られます(ルツ記
4章)。その伝統を引いて、エルサレムの富裕層から選ばれた代表が
サンヒドリンに加わっていました。この人々が長老たちです。もち
ろん、この人々も裁きの権限を持って、イエスに臨もうとしていま
す。
以上、三つのグループが、わざわざ打ち揃って、イエスの許に来
て、ということは、サンヒドリンのメンバーとして、正式の行動で
はないとしても、結局はイエスを裁くためであった、ということは
明らかです。
(この項、続く)
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