2011年09月18日

〔マルコによる福音書講解説教〕

第61回「マルコによる福音書11章11〜14 節」
(10/10/24)(その3)
(前号より続く)

 ラビ文献によれば、ラビ・ヒッヤ・バル・アッバとラビ・ヨハナ
ンという二人の有名なラビが、いちじく(の実)をトーラー(律法)の
たとえである、と言いました。つまり、いちじくの実が、それを味
わえば味わうほど、その中に多くの花が秘められているがゆえに多
くの美味に出会うことができるがごとく、トーラーの言葉もそれを
もってとりなせばとりなすほど、味わい深さを見出すことができる、
という訳です。イスラエルは、与えられた律法を守ることにより、
その宗教性を保つことができる、という訳です。
 しかし、現実のイスラエルはそうではありませんでした。神への
背信を重ね、律法を正しく守っては来ませんでした。背信を重ねる
とどうなるのでしょうか。ホセア書2:14を見てみましょう。

 14「また、彼女のぶどうといちじくの園を荒らす。『これは愛人
たちの贈り物だ』と彼女は言っているが、わたしはそれを茂みに変
え、野の獣がそれを食い荒らす。」

 背信は神の裁きを招きます。ここで、いちじくの実はぶどうと共
に神の恵みを意味していますが、それらが取り去られる裁きの日が
来るのです。さらに、ホセア書で注目したいのは、13節で、その裁
きの日には、「祭り、新月祭、安息日などの祝いをすべてやめさせ
る」と言われていることです。裁きの日には、イスラエルの信仰の
養いのために備えられたものがすべて停止させられるのです。
 イエスは、旧約聖書において、いちじくの実が何のしるしとして
捉えられていたか、十分にご承知だったはずです。ベタニアから宮
きよめに向かう途中、一本のいちじくの木に出会われて、きっかけ
はご自身の空腹であられたかも知れません。しかし、イエスは臨機
応変にそのいちじくの木を用いて、そのいちじくの木に「枯れよ」
と命令されることによって、これから神殿でなさろうとされている
ことを、十二人だけに、目に見える形でお示しになられたのです。
すなわち、イスラエルへの裁きです。ちなみに、このように目に見
える形で神のメッセージを伝え、示すことは、古の預言者たちがし
ばしば用いた手法でした。もちろん、何の罪もないのに、いきなり
枯らされてしまったいちじくの木にとっては、迷惑な話です。しか
し、イスラエルの罪を一身に負った労に、神は労わられたのではな
いでしょうか。
 イエスは今、神の国を完成させるために、ここエルサレムに立っ
ておられます。が、神の国の完成ということは、今まであいまいに
されてきたことが、黒白つけられることでもあり、当然に裁きを伴
うこととなるでしょう。しかし、この裁きは、イエス・キリストの
十字架の贖いによって永遠の命に至るための裁きです。もし、私た
ちが、本日の物語を通して、その罪への裁きにおののくならば、そ
のおののきこそが救いへの出発点です。

(この項、終わり)


第62回「マルコによる福音書11章15-19節」
(10/10/31)(その1)

 15節「それから、一行はエルサレムに来た。」

 前回の続きです。エルサレム入城、そして、神殿の下見の翌日、
ベタニアを出た一行、イエスと十二人は再びエルサレムに来ました。
エルサレム神殿へ行くためです。ガリラヤ伝道のころ、イエスは、
ユダヤ教の会堂、シナゴグで、神の国、神の支配の到来を告げられ
ました。しかし、シナゴグの人々はイエスの言葉に躓きました(6章)。
イエスはユダヤ教の限界にぶち当たったのです。イエスはこの時よ
り、神の国の教会の建設に着手されました。一方、ユダヤ教の本山、
エルサレム神殿はまだ健在です。エルサレム神殿に対するイエスの
姿勢が明らかにされねばなりません。いよいよ決着の時が来ました。
イエスは胸高まる思いをもってエルサレムに入られたのではないで
しょうか。
 ところで、神殿は、イエス当時のユダヤ教において、どのような
位置づけがされていたのでしょうか。神殿のそもそもの由来は、出
エジプトの民が建設した 幕屋に始まります(出エジプト記25章)。
神は天地の創造主にしておはしますから、この地上の特定の場所に
住まいを定めたまうことは、本来はありません。が、この地上にお
いて神と出会うところ、つまり礼拝所として幕屋は造られたのです。
 幕屋は移動式でした。そして出エジプトの民にとっては、やがて、
カナン到着後、恒久的な神殿を建設し、その神殿を中心に、神の支
配したまう国家を建設することが理想でした。イスラエルという名
前自体が、「神の支配」という意味です。この理想は、ダビデとソ
ロモンの時代に成就しました。ダビデはイスラエルを統一し、エル
サレムを首都と定め、そこに幕屋を建設しました。ダビデの跡を継
いで、ソロモンはエルサレムに、後に第一神殿と呼ばれる壮麗な神
殿を建設しました。しかし、その後のイスラエルは、イスラエルの
名に似つかわしくない歩みを歩むこととなります。結局、神の裁き
は免れえず、紀元前587年、神殿は、イスラエルの残党ユダヤ国家と
ともに、バビロニアの手によって完全に破壊されてしまいました。
 バビロン捕囚から帰還したユダヤ人たちは、今度こそイスラエル
の名にふさわしい歩みをしよう、とユダヤ教団を形成しました。

(この項、続く)



(C)2001-2011 MIYAKE, Nobuyuki & Motosumiyoshi Church All rights reserved.