2011年09月04日
〔マルコによる福音書講解説教〕
第60回「マルコによる福音書11章1〜10節」
(10/09/26)(その3)
(前号より続く)
そして、イエスの言われたとおりにしたところ、イエスの言われ
たとおりのことが起こりました。私たちについても、イエスの言わ
れたとおりになす時に道が開かれることを覚えて、勇気と希望とを
持って歩んでいきたいものです。
さて、ほどいた子ろばの件も含め、イエス、弟子たち、そして他
の人々がこれから何をしたか、です。
7-10節「二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、そ
の上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。多く
の人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉のつい
た枝を切って来て道に敷いた。そして、前を行く者も後に従う者も
叫んだ。『ホサナ、主の名によって来られる方に、祝福があるよう
に』いと高きところにホサナ。」
事の成り行きはこうです。イエスは、弟子たちが子ろばの上にか
けた着物の上に、つまり子ろばに乗られました。「多くの者」それ
は「前を行く者」と「後に従う者」とですが、それぞれエルサレム
から出て来た者と、イエスの後について来た「十二人」を始めとす
る弟子たちを意味します。この人々は、一、自分の服を道に敷きま
した。二、野原から葉のついた枝を切って来て道に敷きました。三、
「ホサナ、…」と叫びました。
総体として、ここでなされていることは、ユダヤ人の三大祭りの
一つ、スコトと言われている「仮庵の祭り」で行われていることと
一致します。「仮庵の祭り」とは、チスリの月(9-10月)の15日から
一週間に亘って行われる祭りです。本来は、ユダヤの収穫祭でした。
豊かな収穫物を献げて、神への感謝の中に新しい一年を迎えるので
す。この感謝の思いを心から献げるために、献げ物は量においても、
質においても豊かに、つまり、難行苦行や律法の朗読といった献げ
物も含めて、しかも、エルサレムの神殿にまで出向いて献げ物を献
げるようになってきました。こうして、「仮庵の祭り」は、巡礼の
時となったのです。9節の言葉「ホサナ、主の名によって来られる方
に、祝福があるように」は詩編118編26節の引用なのですが、これは、
「巡礼者に投げかけられる」祝福の言葉でした。道に服を敷くこと、
さらには野原から葉のついた枝を切って来て道に敷くこと、その枝
をもってお互いに叩くことも、巡礼者への祝福として行われました。
イエス一行は、巡礼者として歓迎されたのです。
そして、スコトの時、このように多くの人々がエルサレムに参集
するということは、終末の時、神はこのスコトを用いて、新しいエ
ルサレム、すなわち神の国を起こされる、という信仰へとつながっ
てまいります、預言者ゼカリヤは、神が臨まれるスコトについて預
言し、その時、「人の子(神が遣わされる終末の主)がろばに乗って
来る」と預言しました(ゼカリヤ書9:9)。10節の「我らの父ダビデの
来るべき国に、…」は、旧約聖書には出典はありませんが、スコト
が、神の国到来への期待をもって祝われる時の言葉として、似た言
葉が当時のラビ文献に記されています。
イエスは、ゼカリヤ書も、スコトの意味も十分ご承知の上で、子
ろばに乗ってエルサレムに入ることを意図され、実行されました。
人々(イスラエル)が待ち望んだ神の国、神の支配が今、実現すると
いうしるしです。しかし、それは十字架という思いもかけない形で
実現することとなりました。私たちは、十字架の主を、新しい時代
の始まりを告げるお方として、心よりお迎えしたいものです。
(この項、終わり)
第61回「マルコによる福音書11章11〜14節」
(10/10/24)(その1)
いちじくは、漢字で「無花果」と書きます。一見、花が咲かない
で実だけが実るように見えるからです。が、実は、あの「実」が中
に無数の花を含んだ花軸なのです。今日の物語は、そんな不思議な
実(花)をつけるイチジクの木を、イエスが枯れさせた物語です。意
味深な物語です。本日は、この物語に込められた意味を、マルコの
テキストから学んで参りましょう。
11節「こうして、イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入
り、辺りの様子を見て回った後、もはや夕方になったので、十二人
を連れてベタニアに出て行かれた。」
マルコによれば、イエスはエルサレム入城を果たされた後、一人
で神殿の境内へ入り、辺りの様子を見て回られました。ただし、原
文は、「全部を見た」です。さすがに、祭司だけが入ることができ
る聖所や、大祭司が年に一度だけ入ることが許されている至聖所へ
は行かれなかったでしょうが、神殿の境内でご覧になれるところは
すべてご覧になられたのです。すなわち、神殿のすべてをチェック
されたのです。イエスが何時ごろ神殿に入られたか不明ですが、こ
れだけのお仕事をされれば時間がかかります。それで、夕方になっ
てしまい、そこでイエスは、「十二人」を引き連れて、一旦ベタニ
アに引き上げられたのです。
このマルコの記述は、イエスがエルサレムに入城されてから、直
ちに神殿に赴かれて宮きよめをされたとする、マタイ、ルカの記述
と大いに異なっています。
(この項、続く)
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