2011年08月21日
〔マルコによる福音書講解説教〕
第59回「マルコによる福音書10章46〜52
節」
(10/09/19)(その3)
(前号より続く)
イエスが救いに与らせるために呼んだのは「十二人」だけではあ
りません。バルティマイも呼ばれました。そして、私たちも呼ばれ
ています。皆が救いに与るためです。
ところで、ここで驚くべきことは、そのイエスの言葉を取り次い
だ「人々」の言葉です。「安心しなさい」は、6:50で湖上を歩かれる
イエスが弟子たちにかけた慰めの言葉です。「立ちなさい」は、何
と言っても、5:41で、死んだヤイロの娘に「生き返るように」とイ
エスがおかけになった言葉です。イエスからの伝言、「お呼びだ」
を伝えるばかりではなく、イエスから指示されてもいないこのよう
な慰めの言葉をかけることができたとは、この「人々」はどのよう
な「人々」だったのでしょうか。
50-51節「盲人は上着を脱ぎ捨て、踊りあがってイエスのところ
に来た。イエスは、『何をしてほしいのか』と言われた。盲人は、
『先生、目が見えるようになりたいのです』と言った。」
バルティマイはイエスのお呼びに答えました。その反応は大変派
手なものでした。原文は「上着を脱ぎ捨て」なのですが、これを、
「物乞いするために道に敷いていた上着を放り投げ」と訳す人もい
ます。かなり無理のある訳ではありますが、もしそうであれば、更
に派手です。文字通り、躍り上がってイエスの許へ来たのでしょう。
イエスのお呼びにこれだけ喜びをもって答える、それはすばらしい
ことです。
「何をしてほしいのか」は直訳すれば、「わたしが何をすること
をあなたは望むのか」です。36節でイエスがヤコブとヨハネに投げ
かけた問いとほぼ同じです。イエスは、バルティマイをヤコブとヨ
ハネと同様に愛しておられるのです。いとおしくて仕方ないのです。
バルティマイは、ヤコブとヨハネと同じように自分の願いを率直に
申し上げました。「先生(原語は『ラボニ』で、ラビよりも尊敬を込
めた言い方です)、目が見えるようになりたいのです。」しかし、ヤ
コブ、ヨハネのような見当はずれの信仰ではありませんでしたが、
あくまでも「現世利益」の信仰です。聞かれるのでしょうか。
52節「そこで、イエスは言われた。『行きなさい。あなたの信仰
があなたを救った。』盲人は、すぐに見えるようになり、なお道を
進まれるイエスに従った。」
見えるようになりました。具体的には書かれていませんが、イエ
スの医療行為がなされたのでしょう。イエスにとって、医療行為は
神の支配の到来を告げるしるしです。しかし、「あなたの信仰があ
なたを救った」とのお言葉です。バルティマイの信仰は、あくまで
も現世利益の信仰だったのではないでしょうか。イエスは現世利益
の信仰を受け容れられたのでしょうか。答えは、最後の行にありま
す。「(バルティマイは)イエスに従った。」バルティマイはこの後、
「十二人」と同じ道を歩んだ、ということです。十字架の躓きも経
験したということです。そして、あくまでも推測ではありますが、
復活のイエスに出会ってもう一度、「安心して、立った」のではない
でしょうか。その時、現世利益に止まらず、よみがえりの命に与る
者とされたことを確信したのではないでしょうか。現世利益の信仰
が、イエスに従い続けることを通して、そこまで祝されたのではな
いでしょうか。
バルティマイの名がなぜ残っているのか? これは私たちが最初に
投げかけた問いです。それは、初代教会のメンバーの中に彼の名が
あったからだ、とする説があります。この説は傾聴に値します。バ
ルティマイは、神の国の教会において、み業の実現のために仕える
信仰に至ったのではないでしょうか。この信仰は、イエスに従い続
けるとき、与えられます。
(この項、終わり)
第60回「マルコによる福音書11章1〜10節」
(10/09/26)(その1)
1節前半「一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあ
るベトファゲとベタニアにさしかかったとき」
いよいよエルサレム入城です。数日後、マルコの時間表によれば
五日後に、十字架の出来事が起こるとは、想像さえできないくらい
平和な入場風景でした。
当時のエルサレムは、東西で最長1.5km、南北で最長2.2kmの、
ほぼ長方形の城壁に囲まれた町だったようです。町の東側には、標
高792m(平均)の山脈が南北に連なり、とは言っても、エルサレム自
体が標高790mの台地上にあるのですが、そのエルサレムのちょうど
東側に当たる部分が、オリーブ山と呼ばれていました。オリーブ山
の麓、エルサレムのごく近くにあった農村がベトファゲであり、オ
リーブ山を越えて、エルサレムから3kmほど行ったところにあったの
が、ベタニアでした。イエス一行は、エリコから来ましたので、東
側からエルサレムへ入場されたのでしょう。ベタニア、ベトファゲ
の順序で二つの村を通られたことと思われます。
そして、その村の近く、ベトファゲかベタニアかわかりませんが、
早速、不思議な出来事が起こりました。
(この項、続く)
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