2011年07月31日
〔マルコによる福音書講解説教〕
〔マルコによる福音書講解説教〕
第58回「マルコによる福音書10章35〜45節」
(前号より続く)
弟子たちはすでに、第二回目の受難予告の後、「だれがいちばん
偉いか」という議論をしていて、イエスに「いちばん先になりたい
者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」
とのご注意、ご指摘を受けています(9:34-35)。にもかかわらず、
三回目の受難予告の後に至ってまで、「ランキング」にこだわると
は、あきれ返るばかりです。しかも、今回の二人は、三大弟子のう
ちの二人であり、ヤイロの娘の蘇生にも、イエスの山上の変貌にも
立ち会っています。十二人の中では、イエスのみ心を最もよく知る
はずの二人です。この二人にして、ここに至ってまで「ランキング」
にこだわるとは…。私たちは、人間の罪深さ、しつこさを思い知ら
されます。加えて、神の前でランキングにこだわることが罪である
ことは、本日の旧約書、サムエル記上16:1-3などの物語を通して、
すでに旧約聖書にて指摘されているとおりです。十二人が、そして
二人が、そのことを知っていてランキングにこだわったということ
は、その罪が更に大きい、ということです。
しかしながら、私たちがこの物語をマルコ福音書にこだわって読
む時、この二人の願いが三度目の受難予告に対する反応であったと
すると、彼らがランキングにこだわる罪から免れられなかったこと
は事実としても、イエスの度重なる受難予告にも関わらず、それで
も自分たちはイエスのみ傍にいたいという決意表明と受け取れない
こともありません。彼らがどのような思いでイエスにしがみつこう、
としていたのか、当時の時代背景に少しふれてみる必要がありそう
です。
イエスの時代は、ユダヤ教の歴史から言うと、第二神殿時代の末
期にあたります。第二神殿時代とは、バビロンの捕囚から帰還した
民が、エルサレム神殿を再建してから(551B.C.ごろ)、A.D.70年、
ユダヤ戦争においてローマの手によって神殿が破壊されるまでの時
代です。この時代、神殿礼拝がユダヤ教信仰の中心でした。神殿に
は、神のおはします聖所があり、人々はそこで祭司の指示に従って、
焼き尽くす献げ物、贖罪の献げ物、賠償の献げ物などを献げて礼拝
を守ることによって、神との関係を健全に保ったのです。エルサレ
ム神殿に上って礼拝を献げることは、ユダヤ教徒の夢であり、希望
でした。イエスの時代ごろ、エルサレムへの巡礼者の数は、年間20
万人から30万人に達した、と伝えられています。第二神殿時代の後
期、ディアスポラのユダヤ人の居住地を中心に多くの会堂(シナゴー
グ)が建設されましたが、それは、そもそもは、エルサレム巡礼がか
なわない人のための礼拝所でした。
が、神殿礼拝が盛んになればなるほど、ユダヤ教内部で、特にエッ
セネ派において、神は神殿にはおはしまさないのではないか、とい
う考えが起こってきました。第二次世界大戦後、死海沿岸で発見さ
れた死海文書はエッセネ派が残したものと考えられていますが、そ
の死海文書の中のBenedictus(感謝)と呼ばれる書の中に、「神は、
神に敵対する者どもとの戦いに、信ずる者を召し、そこで栄光を顕
される」と記されています。神殿ではなく、神に敵対する者どもと
の戦いの中に神はおはします、という考え方です。その考えが当時
どの程度までユダヤ教に流布していたのか、またヤコブとヨハネが
この考え方に触れる機会があったのかどうか、定かではありません
が、山上の変貌を目の当たりにしている二人が、三度目の受難予告
を聞いて、「すわ、神の戦いか」と受け止め、ランキングにこだわ
る罪からはたとえ逃れられなかったとしても、その聖戦に参加した
いとの決意表明をここでした、と考えられなくもないのです。だと
すると、後に(14:31)、ペトロがイエスに「たとえ、ご一緒に死なね
ばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申し
ません」と決意表明したのと、大変によく似ております。
そして、二人を愛するイエスは、この決意表明を悲しみと温かい
目をもって迎えられたのであります。
38節以下「イエスは言われた。『あなたがたは、自分が何を願っ
ているか、わかっていない。このわたしが飲む杯を飲み、この私が
受ける洗礼を受けることができるか。』彼らが『できます』と言う
と、イエスは言われた。『確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を
飲み、わたしが受ける洗礼を受けることになる。しかし、わたしの
右や左にだれが座るかは、私が決めることではない。それは定めら
れた人々に許されるのだ。』」
この決意表明に関しては、後のペトロの場合と同じ運命を辿るこ
ととなります。この二人がイエスから「わたしが飲む杯を飲み、わ
たしが受ける洗礼を受けることができるか」と尋ねられた時、二人
は、杯が喜びのシンボルではなく、苦難のシンボルである(詩編74:9)
ことは当然わかっていたでしょう。バプテスマが災難のシンボルで
ある(詩編42:8)こともわかっていたでしょう。しかし、ペトロと同
じく、当時のエッセネ派と同じく、戦って、苦労はするが、聖戦で
すから、結局は勝利すると信じて疑わなかったのではないでしょう
か。だから「できます」と答えたのです。しかし、イエスの十字架
は、侮辱されて、殺されて、それっきりなのです。ですから、本当
にイエスの十字架が起こった時、この二人もイエスを見捨てて去っ
ていくこととなりました。
(この項、続く)
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