2011年05月15日

〔マルコによる福音書講解説教〕

第52回「マルコによる福音書9章30〜37節」
(10/07/25)(その3)
(前号より続く)

 後に、ヤコブとヨハネとが、他の弟子たちに抜け駆けでイエスに
取り入ろうとしたごとく(10:35〜)、イエスの弟子たちの間での権力
争いは激しかったようです。イエスを、政治的メシアと勘違いして、
自分も権力のおこぼれに与りたいと願っていた、というのが弟子た
ちの本音だったのではないでしょうか。こういう雰囲気では、裏切
りは日常茶飯事です。イエスに対する裏切りも、起こって不思議あ
りません。イエスは弟子たちを呼び寄せ、「一致」を説くこととな
ります。

 35節「イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。『いちばん
先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者
になりなさい。』」

 集団の一致が保たないと、その集団は集団目標を達成することが
できません。神の国の教会の建設という、重大な使命を帯びた「十
二人」、ここで弟子たちは突如「十二人」と呼ばれるようになりま
すが、において一致がなくてよいわけがありません。
 しかし、現実には宗教集団ほど一致を保ちにくいのです。信仰的
信念が、個人の「野心」と結びつきやすいのです。そこで、そのよ
うな人の悪い本性を踏まえて、イエス当時の宗教集団の模範生であ
るエッセネ派においては、集団成員の行動規範を細かく規定してい
ました。まず、何にも増して第一に、自分自身のランクにあった行
動をとること、つまり上下関係をきちんと保つことが、一致のため
のツボです。それでも、自分のランクを上にしたいと願うなら、よ
り一層、今、自分に与えられた務めに忠実に仕えること、これに尽
きるというわけです。ところが、「十二人」の場合には、更に高度
のことが要求されます。自分のランクにふさわしい仕え方をするだ
けでは、不十分です。いちばん下のところのランクに自分から下り
ていって、そのいちばん下の人のために仕えなさい。これが実行で
きたとき、「十二人」の集団としての一致がある、というのがイエ
スのご指示でした。
 おそらく、怪訝そうな顔をして、イエスの言葉を理解できない
「十二人」だったのではないでしょうか。が、その十二人に対して、
もう一つの教えが示されました。

 36-37節「そして、一人の子どもの手をとって彼らの真ん中に立た
せ、抱き上げて言われた。『わたしの名のために、このような子供
の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを
受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方
を受け入れるのである。』」
 ペトロの家にたまたま子どもがいたのか、あるいは別の場所での
出来事がここに記されているのか、それは分かりませんが、イエス
が一人の子どもの手をとって、彼らの真ん中に立たせ、しかも抱き
上げました。このイエスのなさったことはどういう意味があるので
しょうか。それは、その子どもが孤児であった可能性が高い、とい
うことです。当時のユダヤ教のラビの言葉に、このような言葉があ
ります。「自分の家で孤児を抱き上げる者は、その子を生んだも同
然である。」イエスは、いちばん後ろの者のところに走って行って
仕えるということを、ご自身の行動で示されたのです。集団の一致
のためにそこまでする行為は、イエスを受け入れ、信じ、さらには
イエスを遣わされた方を受け入れ、信じる世界へと招きいれられる
ことを意味するのです。
 「さあ、やってみようよ」とイエスは弟子たちに強く求めました。
「十二人」にはそれができたでしょうか。できませんでした。では
なかったからこそ、ユダの裏切りがあったのです。そして、失敗し
てみて初めて、自分たちの罪に気づいて、そしてそのとき初めて、
十字架を正面から見つめることができるようになったのではないで
しょうか。
 私たちはどうでしょうか。十字架前の弟子たちと同じところに陥っ
てはいないでしょうか。

(この項、終わり)


第53回「マルコによる福音書9章38〜50節」
(10/08/01)(その1)

 38-40節「ヨハネがイエスに言った。『先生、お名前を使って悪霊
を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、や
めさせようとしました。』イエスは言われた。『やめさせてはなら
ない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪
口は言えまい。わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方な
のである。』」

 ここで、イエスの十二弟子の一人、ヨハネが登場します。ヨハネ
は、ゼベダイの子で、ヤコブの兄弟でした。シモン・ペトロやアン
デレと同時にイエスに捉えられ、十二弟子の一人となりました。周
知のように、イエスは、宣教活動の大事な場面においては、ペトロ
・ヤコブと共にイエスに従い、十二弟子の代表の三人の一人でした。
ついこの間も、イエスの山上の変貌に付き合ったばかりです。
 しかし、十二弟子の代表の三人も、ペトロ抜きでは、その歩みは
覚束ないようです。今日のテキストは、マルコにおいて、いや他の
福音書も含めて、十二弟子の一人であるヨハネが、一人で登場する
唯一の場面です。しかし、その発言は決してイエスに喜ばれるもの
ではありませんでした。

(この項、続く)



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