2011年05月08日
〔マルコによる福音書講解説教〕
第52回「マルコによる福音書9章30〜37節」
(10/07/25)(その2)
(前号より続く)
十字架への信仰に目覚めた、ある一人の父親は、子どもを通して、
よみがえりの信仰への道を示されました。今や、十字架への道を急
がれるイエスですが、弟子たちには、特に「十二人」には、十字架
をもっと分かってもらわねばなりません。それで、イエスは弟子た
ちにもう一度十字架を告知されます。それが今日のテキストです。
30節「一行はそこを去って、ガリラヤを通って行った。しかし、
イエスは人に気づかれるのを好まれなかった。」
イエスが悪霊祓いをされたところがガリラヤ領内であるとすると、
イエスは続けてガリラヤ地方を通って行かれることとなります。し
かし、ガリラヤ領内では、イエスはお忍びの旅です。なぜならば、
ガリラヤでの宣教活動はすでに終結し、十字架への道が残されてい
るばかりだからです。目指すはエルサレムです。しかし、弟子たち
への十字架教育は続けられねばなりません。受難予告が再び弟子た
ちに発せられることとなりました。
31節「それは弟子たちに、『人の子は、人々の手に引き渡され、
殺される。殺されて三日の後に復活する』と言っておられたからで
ある。」
この第二の受難予告と、第一のもの(8:31)とを比較してみると、
私たちはいくつかの違いがあることに気づきます。第一の受難予告
にあった「苦しみを受け」と「排斥され」がなく、代わりに「引き
渡され」があることです。この違いは大きいものです。それゆえ、
今世紀初頭くらいから、一つの解釈がなされるようになってきまし
た。その解釈によると、この第二の受難予告が、受難予告の原型だ、
というのです。もう少し詳しく言えば、イエスは宣教活動の最初の
頃は、「宣教活動に成功し、やがて人々は自分の方になびく」と考
えておられたというのです。しかし、やがて宣教活動がうまくいか
なくなり、直感的に「自分は殺される」と叫ばれた叫びが記録され、
残ったものがこれ、第二の受難予告だ、というわけです。ゆえに、
イエスは最初は自分が十字架で殺されるなどとは、思ってもおられ
なかったし、長老、祭司長、律法学者、にそうされるとは、想定外
であられた、というのです。結果的に、イエスの想定以上のことが
起こってしまった、ということになります。
この考え方の中に登場するイエスは、実は出世を求め、しかも挫
折してしまったイエスです。が、マルコによる福音書は、教会は、
全く違うイエスを伝えています。どこが違うのでしょうか。それは、
神の国、神の支配の到来が先にあって、その後にイエスがおられる
ということです。
イエスは、そもそも神の国、神の支配の到来を告げるために宣教
活動を開始されました。ファリサイ派による敵対行動も織り込み済
みです。ご自身の十字架をもって、神の国、神の支配を完成される
ことが、宣教活動のそもそもの目的でした。教会のイエスは、神の
大きな目的に従順であられる「神の子」イエスです。
よって、第二の受難予告で十字架に触れられていないのは、これ
が原型だから、ではなく、十字架は第一の受難予告で触れられてお
り、大前提だからです。その上で、第二の受難予告では「引き渡さ
れ」が強調されることとなります。
次の問題は、「引き渡され」が何を意味するか、です。古来、こ
の「引き渡され」はユダの裏切りを意味することとされてきました。
近年はこれに対して、ローマ8:32に倣い、神の救済の歴史の観点か
ら、神がキリストを死に引き渡された出来事を指す、とも考えられ
ています。文脈から言えば、神の救済のご意思は大前提としてあり
ますが、直接的には、やはりユダのことを非難して言われたのでは
ないでしょうか。
32節「弟子たちはこの言葉が分からなかったが、怖くて尋ねられ
なかった。」
弟子たちには、イエスの言っておられることが全く分かりません。
自分たちの中から裏切り者が出るなど、思いも及びません。怖くて、
聞くことすらできませんでした。しかし、イエスは弟子たちに、十
字架への理解を深めさせ、自分たちの実態に少しでも気づかせよう、
とされます。
33-34節「一行はカファルナウムに来た。家に着いてから、イエス
は弟子たちに『途中で何を議論していたのか』とお尋ねになった。
彼らは黙っていた。途中でだれがいちばん偉いかと議論しあってい
たからである。」
やがて、一同はカファルナウムに来ました。カファルナウムは会
堂長ヤイロの娘の癒しの出来事以来です。それ以後、ティルスから
ガリラヤ湖東岸に至る異邦人伝道もありました。フィリポカイサリ
アの出来事もありました。久しぶりに「ふるさと」へ帰って来て、
弟子たちもホッとしたことでしょう。ホッとしたとき、本音が出ま
す。悪い本音も、です。イエスはそのことを察知され、家に着いた
時、この家は明らかに一同が拠点としていたペトロの家と考えられ
ますが、「途中で何を議論していたのか」と聞いてみられました。
彼らは黙っていました。この沈黙は意味深です。まずいことをして
言えずにいた、というよりは、マルコが「途中でだれがいちばん偉
いかと議論していたからである」とはっきり書いているとおり、お
互いが牽制しあって言えなかったのです。
(この項、続く)
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