2011年04月03日

〔マルコによる福音書講解説教〕

第49回「マルコによる福音書9章1〜8節」
(10/07/04)(その3)
(前号より続く)

 が、どの山であっても、そこに神が顕れられるとき、それは聖な
る山となるのです。さて、その聖なる山で何が起きたでしょうか。

2節後半〜4節「イエスの姿が彼らの目の前で変わり、服は真っ白に
輝き、この世のどんな職人の腕も及ばぬほど白くなった。エリヤが
モーセと共に現れて、イエスと語り合っていた。」

 神と出会った後、顔が輝いたモーセと違って、イエスは神がお顕
れになられる前から、お姿が変わり、服は真っ白に輝き、この世の
どんなさらし職人の腕も及ばないほど白くなりました。イエスが神
に等しいお方であられることが明らかとなりました。
 ここで登場するモーセとエリヤは、旧約聖書を代表する人物であ
ると共に、その当時のユダヤ教の背景からすると、終末の時、神が
み業を完成される時に現れることが期待される預言者でした。この
二人がイエスと共に現れたということは、イエスが神に召された方
であられることを保証すると共に、イエスの召し、使命、つまり神
の国の完成のための勝利の十字架が、神のみ業の完成そのものであ
ることを表すものです。
 そして、この栄光ある場に十二人の代表が招かれたということは、
十二人が真っ先に、イエスによってなされる神のみ業に与る恵みを
いただくということです。それでは、その大いなる恵みをいただい
た十二人に与えられた召し、使命は何なのでしょうか。

 5〜8節「ペトロが口をはさんでイエスに言った。『先生、わたし
たちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てま
しょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエ
リヤのためです。』ペトロはどう言えばよいのか、分からなかった。
弟子たちは非常に恐れていたのである。すると、雲が現れて彼らを
覆い、雲の中から声がした。『これはわたしの愛する子。これに聞
け。』弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはやだれも見えず、
ただイエスだけが彼らと一緒におられた。」

 モーセに神が顕れられた時、神がアロンを代表とする民に与えら
れた召しは、「律法に従いなさい。守りなさい」でした。十二人に
与えられた召しは、もはや「律法を守れ」ではありません。それは、
7節を受けて、神とイエスが一つであられることが確認されたから
には、神の国、神の支配の完成としての十字架を受けて、神の国の
教会建設のため、神の国の教会の、新しい十二部族の長として、こ
れからも仕えなさい」というのが、十二人、弟子たちに再度確認さ
れた使命です。
 ペトロがここで提案した仮小屋は、出エジプトを記念する仮庵祭
の時に作られる物です。ペトロは、この一連の出来事をシナイ山で
の出来事の再現と誤解した可能性が高いのです。しかし、仮小屋と
訳されている語には、神がご臨在なさる天幕、つまり礼拝所の意味
もあり、もしそうだとすると、神の国の教会の建設を通して、神の
国に仕える自分の使命を彼なりに理解していたと考えられなくもあ
りません。
 いずれにせよ、イエスの十字架後に恵みに与っているわたしたち
は、召しを正しく捉え、私たちも神の国の教会の形成のために仕え
てまいりましょう。

(この項、終わり)


第50回「マルコによる福音書9章9〜13節」
(10/07/11)(その1)

 最初に前々回からの流れを確認しておきましょう。イエスは、い
よいよその時が来た、と判断され、弟子たちに十字架を示されまし
た。フィリポ・カイサリアの地方において、です。しかも、その十
字架は、「政治的メシア」の失敗の結果としての十字架ではなく、
神の国、神の支配の完成の、勝利の十字架です。
 この神の国、神の支配の完成を真っ先に知らされた弟子たちには、
出エジプトの成功と共にイスラエルの民に律法遵守の義務が課せら
れたごとく、恵みに相応する、大きな召し、使命が与えられること
となりました。その十二弟子、十二人の代表たるペトロ、ヤコブ、
ヨハネの三人への使命授与式が、いわゆる山上の変貌です。
 まず、イエスご自身の服が真っ白に輝くことによって、イエスが
神から来られた方であることが証明されました。そして、モーセと
エリヤが共に現れることによって、この二人は終末の時再び現れる
ことを期待されている預言者ですから、イエスの十字架が、神の終
末の業の一環であること、すなわちみ業の完成であることが証明さ
れました。さらに、雲の中から聞えた声、「これはわたしの愛する
子」という神の声が裏づけをします。弟子たち、十二人は、このよ
うな神の国、神の支配の完成に参与させていただいているのです。
ですから、神の国の教会の建設、神の国の教会の新しい十二部族の
世話という、その与えられた使命に邁進しなければなりません。
 しかしながら、いわゆる「山上の変貌」では、イエスの十字架が、
神の国、神の支配の完成であることが明示されはしましたが、弟子
たちの神の国の教会の建設、神の国の教会の新たな十二部族の世話
という使命は明言されていません。

(この項、続く)


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