2011年03月27日

〔マルコによる福音書講解説教〕

第49回「マルコによる福音書9章1〜8節」
(10/07/04)(その2)
(前号より続く)

 ここでイエスの言われている「見る」は、「理解する」「わかる」
の意味の「見る」です。弟子たちは、十字架を目の当たりにするば
かりではなく、それが神の国の完成の出来事であることを理解する
ようになる、ということです。弟子たちにとっては、大変大きな恵
みが保証されました。
 しかし、弟子たちの現実はどうでしょうか。弟子たち、十二人の
うちの一人は、裏切りという形で、十字架の前にすでに脱落してし
まいました。十二人の筆頭であるペトロは、大祭司の庭まではイエ
スに付き合いました。しかしそこで、「お前はイエスの仲間だ」と
指摘されると、三度にわたって否定し、その時点で、イエスの十字
架についていけなくなってしまいました。マルコによれば、十二人
の中、イエスの十字架を目の当たりにした者は誰一人としていなかっ
たのです。
 が、十二人は十字架を目の当たりにすることがなかったにもかか
わらず、イエスの予告どおり、十字架が神の国の完成の出来事であ
ることをわからせてもらったのです。格別の恵みです。が、格別の
恵みをいただいたということは、神のみ業のために召されていると
いうことでもあります。召された者は、召しに答えねばなりません。
モーセの場合を見てみましょう。モーセは、イスラエルの家に生ま
れながら、男児殺害の手を免れ、エジプトの王女の許で育てられる
という特権を得ました。成人して民族的自覚が芽生えたのでしょう。
痛めつけられている同胞を救いました。しかし力が余って、殺人事
件を起こしてしまいます。彼は隠しましたが、発覚し、エジプトの
ファラオに追われる身となって、ミディアンの地で逃亡生活を送っ
ておりました。幸い、そこで結婚することができ、子どもももうけ
たものですから、彼は羊飼いとして永住するつもりになっていまし
た。そのような時に、神の召しが掛かるのです。しかも、エジプト
へ行って、同胞をファラオの手から救え、エジプトから連れ出せ、
との召しです。モーセにとってエジプトは、過去に殺人事件を起こ
した現場です。あれから長い年月が経っていますから、時効とも言
えるかも知れませんが、二度と行きたくない所です。以上のような
事情があって、モーセは「どうしてわたしが行かねばならないので
すか」と一旦は断ったのです。しかし神は「わたしが必ずあなたと
共にいる」と言われて、もう神がモーセの過去の罪を問わない、そ
のような恵みを明らかにされました。そしてその裏返しとして、彼
を出エジプトのために召す、強いご意思を明らかにされたのです。

 さて、場面は変わって、イエスの弟子たちです。イエスの十字架
を見るどころか、イエスを裏切ってしまう弟子たちです。しかし、
その弟子たちに、勝利の十字架を分からせてやる、それまでは、弟
子たちは決して死なない、死なせはしない、とのイエスの強いお言
葉に、弟子たちに用意された大きな救いと、そして強い召しとが込
められているのです。以下の「み姿かわり」の物語は、実は十二人
の召しの確認の物語です。

 2節「六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連
れて高い山に登られた。」

 神の国の勝利としての十字架が告げ知らされてから、六日の後の
ことです。この「六」という数字は、出エジプトの民が出エジプト
後、十戒を始めとする律法を付与され、その律法に基づいて神と契
約を結ぶために、つまり民が使命を与えられるために、モーセとア
ロンらの民の代表がシナイ山へ登った時、神がお姿をお顕しになら
れるのに要した日数でした。出エジプトの際、神は二段階に亘って、
恵みと召しとを与えられました。まず、モーセを恵みをもって召し、
出エジプトに着手されました。次に神は、イスラエルの民に憐れみ
を垂れ、モーセを通して出エジプトを完成されました。そして、今
度は、イスラエルが、神からの召し、使命を受け取る番となったの
です。モーセは民の代表を引き連れてシナイ山に登り、そこで民は
「出エジプトという特別の恵みをいただいた民なのであるから、律
法を忠実に守り、神の民として歩むように」との召し、使命を与え
られたのでした。出エジプトの時、民にも召しが与えられたように、
今や、十二人にも召しが与えられようとしているのです。
 とは言え、イエスはモーセと違って、すでに神の愛する子、神と
一つであられる方です。が、神の国の完成のための勝利の十字架に
仕えよ、という召し、使命をもってこの地上に来られました。そし
て、その使命の達成の際には、十二人が恵みに与ることが確約され
ました。今度は、十二人が十字架の恵みをいただいた上での召しに
与る番です。それで、イエスは、十二人の代表であるペトロ、ヤコ
ブ、ヨハネの三人を連れて、高い山に登られたのでした。
 ところで、この高い山はどこの山でしょうか。古来、タボル山が
その山である、とされてきました。しかし、タボル山は高さが300
メートルぐらいしかなく、「高い山」というには、いささか貧弱で
す。そこで、フィリポ。カイサリアのさらに北にあるヘルモン山(標
高2,815メートル)ではないか、と考えられるようになってきました。
が、どちらの山であるのか、あるいは他の山であるのか、結局は分
かりません。

(この項、続く)


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