2011年02月20日
〔マルコによる福音書講解説教〕
第46回「マルコによる福音書8章11〜21節」
(10/06/13)(その3)
(前号より続く)
では、なぜ彼らは信じてもいないのに、イエスに天からのしるし、
第三の意味でのセーメイオンとしての奇跡を求めたのでしょうか。
考えられる答えはただ一つ、しるしを、イエスを告発するための道
具として使うこと。イエスがちょっとした奇跡の一つでも行えば、
それを、イエスを偽預言者として告発するための材料にするためだっ
たのです。イエスがここでしるしを示すことを拒否されるのは当然
です。
12-13節「イエスは心の中で深く嘆いて言われた。『どうして、
今の時代はしるしを欲しがるのだろう。はっきり言っておく。今の
時代の者たちには決してしるしは与えられない。』そして、彼らを
そのままにして、また舟に乗って向こう岸へ行かれた。」
しかしながら、イエスご自身は、第三の意味のセーメイオン(し
るし)としての奇跡を否定されるどころか、多く用いておられます。
神の国、神の支配の到来のしるしです。風と湖とを鎮めた自然奇跡
も、神の支配が自然界に及ぶしるしでした。ヤイロの娘を生き返ら
せた時も、その奇跡は、ご自身が命の与え主であられるしるしでし
た。そして「五千人の供食」「四千人の供食」において、多くの人
に食事を与える奇跡をされたことは、ご自身が神の国の祝宴の主催
者であられることをさし示すしるしだったのです。
一方、ファリサイ派はどうでしょうか。第三の意味でのセーメイ
オン(しるし)としての奇跡を信じないばかりか、そのしるしを、イ
エスを糾弾するための道具としようとしています。そこには徹底し
た不信仰と共に、そればかりではなく、神のみ業への冒瀆がありま
す。「今の時代の者たちには、決してしるしは与えられない。」は
新約聖書の他に類例を見ない強い否定でして、そのような冒瀆の輩
に、だれが奇跡など示してやるものか、というイエスの強いご意思
が表現されているものと、推測されます。問題なのは、ファリサイ
派に代表されるこの世の、神のみ業への盲目です。
14〜21節「弟子たちはパンを持って来るのを忘れ、舟の中には一
つのパンしか持ち合わせていなかった。そのとき、イエスは『ファ
リサイ派のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい。』と戒
められた。弟子たちは、これは自分たちがパンを持っていないから
なのだ、と論じあっていた。イエスはそれに気づいて言われた。
『なぜ、パンを持っていないことで議論するのか。まだ、分からな
いのか。悟らないのか。心がかたくなに成っているのか。目があっ
ても見えないのか。耳があっても聞えないのか。覚えていないのか。
わたしが五千人に五つのパンを裂いたとき、集めたパンの屑でいっ
ぱいになった籠は、幾つあったか。』弟子たちは『十二です』と言っ
た。『七つのパンを四千人に裂いたときには、集めたパンの屑でいっ
ぱいになった籠は、幾つあったか。』『七つです』と言うと、イエ
スは、『まだ悟らないのか』と言われた。」
十二人が心配です。神の国の教会建設のために召されているにも
かかわらず、もしも、ファリサイ派を中心とする時代風潮に流され
て、不信仰に陥ってしまったら、その使命達成は間々ならないから
です。それで、イエスは「五千人の供食」「四千人の供食」の時の
パンの残りの籠の数を確認され、彼らの使命を再確認させました。
しかし、危険は迫っています。そのパンの中に、悪いパン種が混
じっていたら、せっかくの宣教活動がすべて水泡に帰してしまうで
しょう。その悪いパン種とは、一つは、ファリサイ派のパン種、不
信仰と冒瀆です。そして、ヘロデのパン種とは、今日の物語では具
体的に出てきませんが、ヘロデに見られる権力欲です。
不信仰と冒瀆と権力欲、この三つは、弟子たちの間だけではなく、
今の教会についても、一旦入り込んだら瞬く間に蔓延する病原菌の
ようなものです。本当に注意せねばなりません。私たちも、この三
つに十分に注意を払い、そして、イエスが与えてくださるしるしに、
目を見開いて、神の使命に生きる者としての道を歩み続けて参りま
しょう。
(この項、終わり)
第47回「マルコによる福音書8章22〜26節」
(10/06/20)(その1)
22節前半「一行はベトサイダに着いた。」
神の国の教会の建設を決意されたイエスが、長い異邦人伝道を終
えられて、ガリラヤに戻って来られました。が、神の国の教会建設
のため、十字架への道をまっしぐらに進まれるイエスは、もうガリ
ラヤでの宣教活動はなされないおつもりです。しかし、まだ、神の
国、神の支配の到来が告げられていない町で、一回だけ宣教活動を
されました。それが、ベトサイダでの宣教活動です。
ベトサイダの町については、すでに4:21以下の講解説教の時に触
れました。「ヤイロの娘の癒し」の物語のヤイロが、(実は違うと
思われるのですが)ベトサイダの町の会堂長であった可能性があっ
たからです。ベトサイダがどのような町だったでしょうか。振り返っ
てみると、この町は、ガリラヤ湖の北岸、しかし、ガリラヤ湖に注
ぎ込むヨルダン川の東岸にあった町でした。
(この項、続く)
(C)2001-2011 MIYAKE, Nobuyuki &
Motosumiyoshi Church All rights reserved.