2011年01月09日
〔マルコによる福音書講解説教〕
第43回「マルコによる福音書7章24〜30節」
(10/05/02)(その3)
(前号より続く)
律法の規定に従い、イスラエルの人々は、牛、羊などを犠牲とし
て神殿に献げました。ところが、犬は神殿に侵入し、その供え物を
奪って自分のものとしてしまうのです。この犬の傍若無人な振る舞
いは、イスラエルの人々に神殿を冒瀆された苦難の歴史を思い起こ
させることとなりました。アハブ王の時代はもちろんのこと、間近
くはアンティオコス・エピファネスW世の時(175-167B.C.)、エルサ
レムの神殿は犬のような侵入者によって蹂躙され、冒瀆されたので
す。イスラエルにとって、もう冒瀆の罪を犯すわけにはいかないの
です。となると、冒瀆の罪を引き起こすきっかけとなりかねない、
そういう犬を神殿へ、つまり神の許へ招き入れるわけにはいかない、
ということになります。
ところが、女は、機知に富んだ信仰的洞察によって、異邦人が神
殿に招きいれられる道を提示いたします。要するに、神に敵対する
とされてきた異邦人の罪とは、犬のようなむさぼりだということで
しょう。だとしたら、むさぼるではなくて、いただけばよろしいで
しょう。犬は犬でも「飼い犬のように」というわけです。異邦人は、
真の神を知らないがゆえに、畏れを知らず、冒瀆の罪を犯してきた
かも知れません。しかし、神を知り、畏れを抱くことにより、神に
招き入れられる道が開かれるのです。
29-30節「そこでイエスは言われた。『それほど言うなら、よろし
い。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった。』
女が家に帰ってみると、その子はとこの上に寝ており、悪霊は出て
しまっていた。」
「それほど言うなら、よろしい。」という訳は、残念ながら、原
文の大切な内容が伝わりにくい訳です。原文は「そのロゴス(言葉)
によって、…」と言っています。女がこのロゴス(言葉)をどこから
得たのか、それはひょっとしたら、ただひたすら娘が治ってほしい
がゆえの、その場限りの出任せだったかもしれません。でも、それ
でもいいのです。イエスはこの女の言葉を、ロゴス(神の言葉)とし
て受け取りました。神に敵対する異邦人への伝道という、難しい使
命への取り組み方は、こうしてこの女の口を通してイエスに示され
たのです。要するに、神への畏れを共有する時、道が開かれるので
す。
共に神を畏れる者となったこの女に対して、神のみ業は十分に働
き、遠隔の地にあっても、ダイモニオンは追放され、その子は回復
の一歩を踏み出しました。
この物語は、イエスの神の国の教会の建設に際して、と共に、現
代の教会にとっても「神に敵対する」と思われる人への伝道への招
きです。神への敵対は、たとえ知らずになされたとしても神への冒
瀆であることには間違いありません。しかし、神への畏れに目覚め、
共に神の御前にひれ伏す時、そこに神の救いは確かに及ぶことを、
この物語より受け止めて参りましょう。
(この項、終わり)
第44回「マルコによる福音書7章31〜37節」
(10/05/16)(その1)
31節「それからまた、イエスはティルスの地方を去り、シドンを
経てデカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖へやって来られた。」
イエスの異邦人伝道が続きます。ティルスでは、一人になられて、
異邦人伝道の方法についてみ心を求めておられたイエスでした。が、
「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます。」
という異邦の女の一言に、イエスはみ心を察知されました。ユダヤ
人にとって異邦人は、異邦人は、神殿を、つまり神の領域を貪る罪
人であったかも知れません。が、その異邦の中にも、受け入れる者
が備えられているのです。この受け入れる者を介して、神の国、神
の支配の開始の福音が宣べ伝えられることを確認されたイエスは、
ティルス地方において、その女性の娘からダイモニオンを追い出す
という、最初の神の国のしるしを示されたのです。
さて、この後、イエスはどこへ行かれたのでしょうか。マルコに
よれば、イエスは一旦シドンへ出られ、そこからおそらくフィリポ・
カイサリアを通って、ガリラヤ湖東岸のデカポリス地方へ入られ、
更にガリラヤ湖東岸へ出られたということです。ガリラヤ湖へ出ら
れるのが目的であるとすると、大迂回コースです。それゆえ、古来、
イエスが本当にこのコースを通られたのかどうか、疑問も投げかけ
られてきました。
まず第一に、イエスが本当にシドンに行かれたかどうか、です。
シドンは、ティルス地方からさらに、地中海沿いに32km以上も北
上した所にあります。かなりの遠距離です。しかも、イエスがシド
ンへ行かれた、という記述は、全福音書でここだけです。マルコに
も、シドンでの宣教の記録は記載されていません。マルコの間違い
ではないか、という意見も根強くあります。
第二に、コース全体についてです。長すぎると考える人がいます。
まともに辿ったら8カ月掛かる、と計算した人もいます。もし、「シ
ドン」が「ベトサイダ」の間違いであれば問題ない、と考える人も
います。
(この項、続く)
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