2011年01月02日
〔マルコによる福音書講解説教〕
第43回「マルコによる福音書7章24〜30節」
(10/05/02)(その2)
(前号より続く)
イエスの異邦人伝道は、実はこれが初めてではありません。すで
に、ガリラヤ湖の東岸、ゲラサ人の地にも行かれ、そこで悪霊祓い
をしておられます。しかし、今回イエスが赴かれたティルス地方は、
異邦人の地と一口で言っても、ゲラサの地のような僻陬の地ではあ
りません。高度の文化、文明を持ち、しかもイスラエルに偶像礼拝
を導入させて、瀆神の罪を犯させたという過去をもっています。イ
スラエルに敵対してきた地です。イエスがティルスの町まで行かれ
たかどうかは定かではありませんが、イエスは確かにティルス地方
に入られました。イエスはこの地でどのような宣教活動を展開され
るのでしょうか。
24節後半「ある家に入り、だれにも知られたくないと思っておら
れたが、人々に気づかれてしまった。」
この24節後半は、不思議な聖句です。イエスは、神の国、神の支
配の到来を告げ知らせるためにこの地にわざわざ来られたはずです。
なのに、イエスはある家に入られ、「だれにも知られたくない」と
思っておられたというのです。この一見不可解な行動をとられた理
由は何なのでしょうか。
私たちはここで、この物語にイエスの弟子が登場しないことに気
づかなければなりません。そしてここが、この物語を理解する上で
のツボなのです。
マルコによる福音書によれば、イエスは宣教活動の最初に弟子を
採られました。以後、宣教活動において弟子を伴われなかったこと
はありません。特に、十二人については、神の国の教会建設の担い
手と位置づけられておられたからです。しかし、イエスは宣教活動
の節目、節目において一人になられました。まず、宣教活動に入ら
れる前、荒野の誘惑においてです(マルコ1:12-13)。イエスは、宣教
活動に入られるにあたり、そもそもご自身が父なる神に従順であら
れるのか、十字架の死にいたるまで従順であられ続けるのか、試さ
れたのです。そして、この試練に勝利されて、宣教活動に乗り出さ
れました。
第二に、カファルナウムでの宣教活動を開始された次の日の朝、
イエスはまだ暗いうちに、人里離れた所へ出て行かれ、祈られまし
た(1:35)。おそらく、カファルナウム近辺での宣教活動の使命を、
父なる神に確認されるためだったのでしょう。そして、確かに確認
されて、カファルナウム近辺での宣教活動を発展させられました。
第三は、神の国の教会の建設に着手され、神の国の食事に五千人
を招待された時です。イエスは群衆と別れて、祈るために山へ行か
れました(6:46)。おそらく、神の国の教会の建設の使命を確認され
るためだったのでしょう。そしてこの後、その使命の確認を象徴す
るかのように、湖の上を歩かれて、ご栄光を顕されました。
そして、イエスの宣教活動においては四回目、イエスはティルス
地方に入られ、ある家の中で一人になろうとされました。宣教の広
がりの中でその第一弾として取り組まれたティルス地方での伝道、
しかもイスラエルに敵対し、イスラエルに瀆神の罪を犯させてきた
異邦の地での伝道、そこでどのような宣教がなされるべきか、イエ
スは、その使命を父なる神に確認しようとされたのではないでしょ
うか。そして、そのイエスの祈りの課題に、神は、一人の女を遣わ
して答えられることとなったのです。
25-28節「汚れた霊に取りつかれた幼い娘を持つ女が、すぐにイエ
スのことを聞きつけ、来てその足もとにひれ伏した。女はギリシア
人でシリア・フェニキアの生まれであったが、娘から悪霊を追い出
してくださいと頼んだ。イエスは言われた。『まず、子供たちに十
分に食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬に
やってはいけない。』ところが、女は答えて言った、『主よ、しか
し、食卓の下の小犬も、子供のパンくずはいただきます。』」
人間の罪は普遍ですから、人間の罪を足がかりとして働く悪の力
も普遍です。この異邦の地にも、サタンの手先、ダイモニオンに苦
しめられている人がいました。娘がダイモニオンに取りつかれた異
邦の女が、イエスの許へ救いを求めてやってまいりました。苦しん
でいることは事実ですが、相手はイスラエルに瀆神の罪を犯させて
きたという歴史を持つ異邦の女です。
イエスはまず、神に正しく仕えるイスラエルとしての公式見解を
述べられます。「まず、子供たちに十分に食べさせなければならな
い。子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない。」
子供たちとは、神に忠実に従うイスラエルの意味です。当然神か
らのパンを十分にいただいて然るべきでしょう。小犬とは、小犬で
あっても、神に敵対する異邦人の意味です。本日の旧約書において
もそうですが、旧約聖書ではしばしば、神に敵対する異邦人のこと
を犬にたとえました。当時のあるユダヤ教文献には次のように書か
れています。「犬を聖域、すなわち神殿に入れてはならない。なぜ
なら、犬は、そこに供えられている供え物の肉をむさぼり食ってし
まうからである。」
(次号に続く)
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