2010年10月24日
〔マルコによる福音書講解説教〕
第38回「マルコによる福音書6章30〜44節」
(10/03/07)(その2)
(前号より続く)
33節「ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、そ
れと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に
着いた。」
ところで、この荒れ野がどこであるか、議論されてきました。多
くの学者は、ガリラヤ湖東北岸であると推測しています。そうする
と、群衆は、イエスや十二人が乗った船を追いかける途中、ヨルダ
ン川を渡ったことになります。それが可能だ、いや不可能だ、とい
う議論がなされてきました。しかし、荒れ野がどこであるかは実は
どうでもよいことなのではないでしょうか。すべてのものを剥ぎ取
られ、神と直接対峙しなければならないところ、それが荒れ野です。
人にはそれぞれの荒れ野があるのではないでしょうか。
さて、招かれもしない人々が、私も連れて行った欲しい、とすべ
ての町々から湧き上がるようにして現れてきて、陸路(原文には、
「徒歩で」の一言が入っています)彼らを追い、何と先に着いてしま
しました。イエスはどうされたでしょうか。
34節「イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいな
い羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。」
群衆のことですが、「飼い主のいない羊のような」という表現に
注目しましょう。これは旧約聖書に見られる表現です。その一つが
エゼキエル書34章です。捕囚時の預言者エゼキエルは、神に選ばれ
た民イスラエルは、今散らされてしまっている、「飼う者のいない
羊の群れ」だ、と言いました。が、神はこの民を放っては置かれま
せん。一人の牧者、「わが僕ダビデ」を起こし、この牧者の許で民
が二度と散らされないようにしてくださるのです。
イエスが目の当たりにした大勢の群衆は、飼い主のいない羊、散
らされたイスラエルでした。教会の建設に一歩踏み出されたイエス
は、ここで、エゼキエルの言う「わが僕ダビデ」の使命を担われる
決心をなさいました。彼らを、二度と散らされることのないように
するために、教会に招くのです。そのためになさったことが教える
ことです。今や、ユダヤ教の会堂に、ではなく、荒れ野に教会形成
の第一歩が築かれたのです。
イエスはこの大群衆を教会に招き、神の国の食事に招待されまし
た。それが五千人の供食の物語です。
35-38節「そのうち、時もだいぶたったので、弟子たちがイエスの
そばに来て言った。『ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちま
した。人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や
村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう。』これに対してイエス
は『あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい』とお答えになった。
弟子たちは『二百デナリオンものパンを買って来て、みんなに食べ
させるのですか』と言った。イエスは言われた。『パンは幾つある
のか。見て来なさい。』弟子たちは確かめて来て、言った。『五つ
あります。それに魚が二匹です。』」
神の国の食事に人々を招こうというイエスのご意思に対し、十二
人の不信仰が邪魔をしました。十二人は教会に仕えるために召され
たはずでした。しかし、教会の奉仕をするには、未熟だったのです。
群衆に食事を与えるという大問題に直面し、何と解散を提案してし
まうのです。解散してしまったら、散らされた民を集めるという主
イエスの教会形成の働きはどうなってしまうのでしょうか。不信仰
は、事の軽重が分かりません。イエスを見ずに、自分の常識に固執
してしまうからです。
しかし、イエスはそのような十二人の不信仰をお怒りにはなられ
ません。教育されます。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」
と十二人の使命を思い出させます。将来の「新しい十二部族」のそ
れぞれのリーダーとして、自分の部族の世話をすることこそ、十二
人の使命だったのではないでしょうか。十二人が不信仰の状態にあ
る時、マルコは彼らを「十二人」とは呼びません。「弟子たち」と
呼びます。そのとおり、弟子たちはさらに不信仰の自分をさらけ出
して「わたしたちが二百デナリオンものパンを買って来て、みんな
に食べさせるのですか」などとのたまうのです。自分の使命を自覚
しているならば、いかに大変でも、パンの量を計算している暇に、
買えるか買えないはともかく、自分の教会を世話するためにパンを
買いに走るべきでした。不信仰は惨めな結果をもたらしました。こ
の大群衆を前にして、弟子たちが入手できたのは、わずかに五つの
パンと二匹の魚でした。
39-42節「そこで、イエスは弟子たちに、皆を組に分けて、青草の
上に座らせるようにお命じになった。人々は百人、五十人ずつまと
まって腰を下ろした。イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を
仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配ら
せ、二匹の魚も皆に分配された。すべての人が食べて満腹した。」
(この項、続く)
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