2010年10月10日
〔マルコによる福音書講解説教〕
第37回「マルコによる福音書6章14〜29節」
(10/02/21)(その3)
(前号より、続く)
第二の出来事に移ります。
21-29節「ところが、良い機会が訪れた。ヘロデが、自分の誕生日
の祝いに高官や将校、ガリラヤの有力者などを招いて宴会を催すと、
ヘロディアの娘が入って来て踊りをおどり、ヘロデとその客を喜ば
せた。そこで、王は少女に、『欲しいものがあれば、何でも言いな
さい。お前にやろう』と言い、更に、『お前が願うなら、この国の
半分でもやろう』と固く誓ったのである。少女が座を外して、母親
に、『何を願いましょうか』と言うと、母親は、『洗礼者ヨハネの
首を』と言った。早速、少女は大急ぎで王のところに行き、『今す
ぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます』と
願った。王は非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客
の手前、少女の願いを退けたくなかった。そこで、王の将校を遣わ
し、ヨハネの首を持って来るようにと命じた。衛兵は出て行き、牢
の中でヨハネの首をはね、盆に載せて持って来て少女に渡し、少女
はそれを母親に渡した。ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、やっ
て来て、遺体を引き取り、墓に納めた。」
「良い機会」とありますが、少しも「良い」機会ではありません。
悪にとって都合のよい機会です。ヘロデが、自分の誕生日に、高官
や将校、ガリラヤの有力者などを招いて、誕生パーティーを催した
のです。ここでヘロディアが一計を案じました。ヘロディアの娘サ
ロメが、その年代から言って20歳以上ではありえませんが、入って
来て踊りを踊り、ヘロデとその客を喜ばせたというのです。
しかし、サロメは仮にも王家の娘です。当時のオリエントで、王
家の娘が人前で踊るという、そのようなことはあり得たのでしょう
か。歴史家の答えはこぞって「ノー」です。実際にはサロメが踊る
ということがなかった可能性の方が高いのです。が、もし仮にその
あり得ない出来事が起こったとしたら、その場に大変な驚きを引き
起こしたことでしょう。悪はしばしば善良な人が思いもつかない
「すばらしい」アイディアを提供し、爆発的な力を発揮するもので
す。たとえそれが「サロメの踊り」ではなかったとしても、ヘロデ
ィアはここで驚くべき「すばらしい」アイディアを提供し、ヘロデ
を始め、その場の人々をすっかり悪の虜としてしまったのです。
「欲しいものがあれば、何でも言いなさい」「お前が願うなら、
この国の半分でもやろう」とヘロデは固く誓ってしまいました。こ
のヘロデの言葉も史実性を疑われています。領主であったヘロデに
は、自分で自由に処分できる土地は、これっぽっちもなかったから
です。この言葉は、旧約聖書エステル記5:3などの影響もあって、
後に尾ひれがついて伝えられたものでしょう。しかし、ヘロデが、
もちろん彼ができる範囲でではありますが、最大限のプレゼントを
しようと思い、誓ってしまった、つまり悪の力にそこまで嵌められ
てしまったことは確かでしょう。ヘロディアの企みは成功し、最初
の計略どおり、バプテスマのヨハネの首を取ることが受け入れられ、
悪が勝利したのです。
圧倒的な悪の力の前では、神にしっかりと立つ者でなければ対抗
できません。ヘロデの心の痛み、そして良心は、悪の前では無力で
した。
ヨセフスによれば、バプテスマのヨハネが捕えられていた牢は、
死海東北岸のマカエルスの要塞にあったということです。ヘロデの
宮廷があったガリラヤ湖西岸のティベリアスからは100km以上離れ
た、遠いところです。「盆に載せて」云々の件は実際には不可能で
あり、かなりの脚色が入っているでしょう。しかし、バプテスマの
ヨハネという義人が悪の力によって惨殺されたことは確かであり、
ヘロデが取り返しのつかない大きな罪を犯したことも確かです。人
の罪は、良心をもってしてでは防げない、という厳しい事実を突き
つけて、この出来事は幕を閉じることとなりました。
が、事件はこれだけでは終わりませんでした。バプテスマのヨハ
ネの死はさらに波紋を広げました。
14-17節「イエスの名が知れ渡ったので、ヘロデ王の耳にも入った。
人々は言っていた。『洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ。
だから、奇跡を行う力が彼に働いている。』そのほかにも、『彼は
エリヤだ』と言う人もいれば、『昔の預言者のような預言者だ』と
言う人もいた。ところが、ヘロデはこれを聞いて、『わたしが首を
はねたあのヨハネが、生き返ったのだ』と言った。」
その後、イエスの評判が高まってくるにつれて、ヘロデの良心が
突き刺されるように痛むようになりました。人々はイエスのことを
「エリヤだ」とか「昔の預言者のような預言者だ」とも言っていま
す。しかし、ヘロデには「わたしが首をはねたあのヨハネが、生き
返ったのだ」としか思い当たらないのです。罪は、犯した人の良心
を一生の間、苦しめ続けるのです。
(この項、続く)
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