2010年10月03日
〔マルコによる福音書講解説教〕
第37回「マルコによる福音書6章14〜29節」
(10/02/21)(その2)
(前号より、続く)
そもそもガリラヤを含むユダヤの地は、紀元前63年からローマの
植民地となっていましたが、イドマヤ出身の将軍ヘロデは、ローマ
の高官に取り入り、紀元前37年に「ユダヤ王」という称号を得、ユ
ダヤはローマの属国となりました。つまりユダヤは、ヘロデという
王がいる国で、しかもローマの植民地である、ということになった
のです。このヘロデが、イエス誕生物語に出てくるヘロデ王で、別
名ヘロデ大王と言います。
ヘロデ大王は、エルサレム神殿の再建工事も手がけていますし、
多くの業績を残しているのですが、その家庭は大変に乱れていまし
て、十人の妻と十五人の子がいたと伝えられています。しかもヘロ
デ大王はその家族に、「自分の地位をいつか奪われるのではないか」
という猜疑心を絶えず抱いていました。それで、自分の愛する妻、
その母、そしてその二人の子を次々と殺してしまいます。その家庭
ではヘロデ王の悪が支配していました。
ヘロデ大王の死後、その王国はその子に引き継がれることとなり
ました。が、もはやヘロデ大王ほどの器量のある息子が残っておら
ず、残った息子たちの中、三人が、ヘロデ大王の王国を三分割して
治めることとなりました。その一人、ガリラヤ地方を治めたのが、
ヘロデ・アンティパスという人物で、ここに登場するヘロデなので
す。マルコは、このヘロデを王と呼んでいますが、本当は、彼は王
の称号をもらえず、その下の位の領主という称号しかもらえません
でした。このように、器量においては父のヘロデ大王にはるかに劣
るヘロデ・アンティパスでしたが、家庭内にゴタゴタを抱えている
という点では、彼はしっかり父を受け継いでいました。
マルコの物語に戻りましょう。「ヘロデは自分の兄弟フィリポと
結婚しており」とありますが、当時の歴史を記したヨセフスの記述
に基づく若干の解説が必要です。ヘロディアは、ヘロデ大王が殺し
てしまった息子の一人、アリストブロスの娘です。つまり、彼女自
身もヘロデ家の人間です。彼女は、たくさんいた「異母おじ」の一
人と結婚し、一人娘を儲けました。その娘が、ここで出てくる、ヘ
ロディアの娘の少女であり、名をサロメと言います。ただし、ヘロ
ディアが結婚した「異母おじ」の名がフィリポであるというのは、
マルコの間違いで、ヘロディアの夫は別の「異母おじ」です。が、
それはともかく、ヘロディアは夫である「異母おじ」を捨てて、娘
を連れて、別の「異母おじ」であるヘロデ・アンティパスのところ
へ走ったのです。ヘロデ・アンティパスは、自分の「異母姪」にし
て、自分の異母兄弟の妻であるヘロディアを奪い取ったのです。
こういう近親間での愛憎劇は、ローマの支配層の家庭では、ごく
日常的に起こっていたようですから、民衆は、「またか」と眉をひ
そめつつも、口を閉ざしていたかも知れません。が、この、どう考
えても倫理的によからぬ出来事を、相手がだれであろうが、はっき
りと「間違いだ」と指摘する人物がおりました。それがバプテスマ
のヨハネです。ここで、この物語はマルコ1:14に接続します。ヨハ
ネは「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」
と、領主の悪を、神に背く罪である、と指摘しました。ということ
で、捕えられ、牢に入れられていたのです。
問題は、領主夫妻の反応です。ヘロディアの反応は、「ヨハネを
恨み、彼を殺そうと思っていた」でした。が、彼女は、そもそも、
自分の父を、自分の祖父の権力欲のゆえに、なんとその祖父の手に
よって殺されるという悲劇を体験しているはずなのです。家庭内の
憎しみは、彼女のもっとも厭うところだったのではないでしょうか。
今回の再婚の件についても、彼女はその問題性を十分に認識してい
たのではないでしょうか。この時与えられたバプテスマのヨハネの
言葉、「正しい人」の「正しい発言」は、彼女の今までの人生の痛
みを乗り超えるきっかけともなり得るはずだったのではないでしょ
うか。けれども、彼女はヨハネを逆恨みし、権力を用いて「正しい
人」を殺そうとする方向へ走りました。こうして彼女は、救いのき
っかけをつかみ損ね、「祖父に輪をかけた悪女」として審きの火を
頭に積む者となっていきました。
ヘロデ・アンティパスの反応は複雑でした。家庭内の惨劇を体験
してきた点では、ヘロディアと同じです。しかも、彼もまた父ヘロ
デ大王の道を歩みつつあります。しかし、そのような彼が、バプテ
スマのヨハネの厳しい、彼にとっては困惑せざるを得ないような言
葉の中に、神の救いのみ心を感じとるのです。ヨハネを「聖なる人」
として受け止め、その言葉に耳を傾けるのです。この家にも神の救
いはもたらされるのか、この家の人は神の救いを受け入れられるの
か、というせめぎ合いの中にありました。が、結局はヘロデ大王の
「悪の道」が勝ってしまいました。
(この項、続く)
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