2010年10月03日

〔マルコによる福音書講解説教〕

第36回「マルコによる福音書6章6b〜13節」
(10/02/14)(その3)
(前号から続く)

 宣教内容が緊急のことですから、宣教に出かけるに際しての指示
も緊急対応です。たとえて言えば、身内の者が地震の被害に遭った
時、とにもかくにも「着の身着のまま」現地に駆けつける、そのよ
うな対応です。杖と履物については、マルコでのイエスが「持って
行け、履いて行け」と指示しているのに対し、マタイ、ルカでは
「持って行くな」と指示されているのはなぜか、どちらがイエスの
真性の言葉なのか、といったことが議論されたりします。が、これ
は緊急対応でも状況によって細かい違いがあるということです。マ
ルコが想定している状況では、いくら緊急でも杖と履物なしでは歩
くことができなかったということでしょう。パンも、袋も、また帯
の中に金も持たず…も事の緊急性に対応しています。準備している
暇はないのです。「下着は二枚着てはならない」も、贅沢を戒める
というよりも、先々の準備をすることへの戒めです。

 10節「また、こうも言われた。『どこでも、ある家に入ったら、
その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい。しかし、
あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所
があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして、足の裏の
埃を払い落としなさい。』」
 次の指示は、この宣教が緊急であるがゆえに短期間であることと
関連します。短い期間であるから、ともかくお願いして泊めていた
だくということであって、宿泊先の迷惑を顧みない指示ではありま
せん。
 この十二人への指示が、後の時代、使徒の伝道旅行の際の、また
中世の修道士の行動の際のマニュアルの原型となったことは確かで
す。しかし、十二人への指示は、あくまでも神の国の到来の告知の
緊急性に則っての指示であることを忘れてはなりません。一般的に
は、伝道旅行の準備は十分になされるべきです。行く先々に迷惑を
かけることを当然のこととなすべきではありません。イエスの指示
は「貧しさ」ないしは「貧しく装うこと」の勧めではなく、「急ぎ
なさい」との指示なのです。

 12〜13節「十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教
した。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人を癒
した。」
 バプテスマのヨハネが宣教したように、終末の時が近づいている
ということは、すなわち裁きが近づいているということです。その
裁きに私たちは耐えられるでしょうか。耐えられません。悔い改め
ることによって、神が憐れみをもって救いを垂れてくださるのを待
つしかないのです。十二人の宣教は、バプテスマのヨハネと同じく、
悔い改めを私たちに迫るものとなりました。
 しかし、どれだけの人が悔い改めたことでしょうか。マルコはそ
このところを一切記していませんが、悔い改めた人がいる一方で、
多くの人が悔い改めず、十二人の言葉に耳を傾けようとさえしない
人もいたことでしょう。これらの人々に対して、そういう町や村に
対して、イエスは「彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としな
さい」と指示されました。この行為は「あてつけ」でも「いやがら
せ」でもありません。イスラエルにおいては、そこの地が異教の地
である、すなわち救いがもたらされない地である、ということを示
す象徴行為でした。今、救いが告げられたのですから、それを拒否
することは裁きにつながるのです。
 今、私たちは十字架のイエスを通して、神の国の完成をすでに示
されています。にもかかわらず、十二人が「急いで」神の国の到来
を告げた時の人々と同じように、いやそれ以上に無関心で、自分の
態度表明を先へ先へと延ばし続けてはいないでしょうか。今、救い
のみ声に耳を傾け、悔い改めることが求められています。

(この項、終わり)


第37回「マルコによる福音書6章14〜29節」
(10/02/21)(その1)

 おどろおどろしい物語です。が、この物語には三つの異なった時
期の物語が述べられています。その三つの出来事を時間の順序に従
って追って参りましょう。第一は17〜20節の出来事です。

 17〜20節「実は、ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディア
と結婚しており、そのことで人をやってヨハネを捕えさせ、牢につ
ないでいた。ヨハネが『自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で
許されていない』とヘロデに言ったからである。そこで、ヘロディ
アはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。
なぜなら、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、
彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、
なお喜んで耳を傾けていたからである。」
 イエスの誕生物語のないマルコによる福音書においては、ヘロデ
なる人物が登場するのはここが初めてです。が、ここで出てくるヘ
ロデは、イエス誕生物語に出てくる、あの悪名高いヘロデとは別の
人です。しかし、あのヘロデ王とこのヘロデとの関係を知るために、
聖書外の資料からわかっていることに多少触れてまいりましょう。

(この項、続く)


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