2010年09月26日

〔マルコによる福音書講解説教〕

第36回「マルコによる福音書6章6b〜13節」
(10/02/14)(その2)
(前号から続く)

 7-9節「そして、十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすこと
にされた。その際、汚れた霊に対する権能を授け、旅には杖一本の
ほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履
物は履くように、そして「下着は二枚着てはならない」と命じられ
た。」
 「十二人」に与えられた使命は、3:14ですでに学んだように、
「自分(イエス)のそばに置くため」すなわち、失われたイスラエル
の十二部族を、終末の時に、すべての救われた者から成る十二部族
として再建することでした。イエスは今や、救われた者の共同体の
先駆けである教会の建設に着手されたのですから、将来の十二部族
の長となるべき十二人は、救われる者を召し集めるために、今、出
発しなければならないのです。それゆえ、イエスは十二人を派遣す
るのです。
 派遣に際しまず注目しなければならないのは、イエスが十二人を
二人ずつ組にして派遣されたことです。なぜそうされたのでしょう
か。ある人は「これはユダヤ教時代からの慣習だ。二人いれば、一
人が落ち込んでも慰められる。」と説明します。また、ある人は、
「古来、イスラエルでは、証言は二人以上の証言があって初めて事
実と認定された(申命記19:15)。ここでは、弟子たちの伝える宣教の
言葉が真実であることを証明するために、イエスが十二人を二人ず
つ遣わされた。」と説明します。イエスは、ユダヤの慣習もイスラ
エルの法もよくご存知ですから、これらのことも当然考慮されたこ
とでしょう。しかし、十二人が将来十二部族の長となるべき人物で
あることを考えると、イエスが十二人を二人ずつ遣わされたことに
はもっと大きな意味があることがわかるのです。
 本来、十二部族のそれぞれのリーダーとしての務めを与えられた
十二人は、一人一人が責任をもって自分の部族員、つまり自分の部
族を通して救われる者を集めるべきです。どうしたら、早くたくさ
んの部族員を集めることができるでしょうか。お互いに競争させれ
ばいいのです。業績達成グラフ、目標達成グラフなどを作って、成
績の悪い部族長のお尻を叩き、クビをちらつかせたりすればもっと
効果が上がります。二人ずつ組にするとは、それをしないことを意
味します。宣教活動は協力して主に仕えることによってなされねば
ならないことを意味します。十二人のそれぞれは自分の部族の責任
を負いつつ、協力して主に仕えるのです。
 さてここで、イエスが十二人に「汚れた霊に対する権能」を授け
られたことに注目しましょう。イエスの悪霊祓いは、少なくともマ
ルコによる福音書においては、イエスが神の子であられることを示
す、すなわちイエスのご栄光を顕す業です。宣教の始め、カファル
ナウムの会堂でイエスが説教をされた時、そこに汚れた霊に憑かれ
た人がいました。目ざとくイエスの正体を見抜き、「かまわないで
くれ」と頼みました。これに対して、イエスはこの汚れた霊を追い
出すことによって、ご栄光を顕されました。見ていた人たちは、こ
の業を見て、イエスの教えを「権威ある新しい教えだ」と評価した
のです。イエスがただの宗教家ではないことを察知したのです。
 また、イエスがガリラヤ湖を渡られて、宣教活動を異邦人の地で
始められた時、イエスは真っ先に悪霊祓いをされました。この悪霊
は手強い存在でした。2000人もの悪霊が一人の人に憑いていました。
しかも虚勢をはって、イエスに対抗してきました。しかしイエスは
ここで悪霊祓いを行い、神の子ならではのご栄光をお示しになられ
ました。このご栄光に接して救われた人は、この地での宣教活動に
従事する「真の弟子」となりました。
 この悪霊祓いの権能を神ならぬ十二人に授けることは、普通はあ
りえないことです。それなのにイエスはなぜ授けたのでしょうか。
それは、イエスがここで十二弟子に、後に使徒として働くための準
備をさせられたということとともに、終末の時、十二人が十二部族
それぞれを支配する際、その時必要となる権能、神の代理としての
権能を授けたということなのです。十二弟子は大変なものを授かっ
てしまったのです。
 さて、ここからイエスの十二人への宣教命令は具体的な指示に入
ります。しかし、具体的な指示はなされても、肝心の、何を伝える
のか、何を宣教するのか、が指示されてはいないのではないでしょ
うか。この点については、イエスが十二人を宣教に遣わされたこと
自体、さらに十二人に汚れた霊に対する権能を授けたこと自体に、
その宣教内容が語り尽されています。「時が満ち、神の国は近づい
た(1:15)」と宣言されて、宣教を開始されたイエスです。会堂での
宣教活動を終えられて、ますます神の国は近づいているのです。す
ぐそこまで着ている終末に備えて、十二部族の長としての役割を担
わされている十二人が、神の権能まで授けられて伝えるべきメッセ
ージは、「神の国は近づいた、イエスが宣教開始された時よりも、も
っと差し迫って、ここまで来ている」という以外にはありえなかった
のではないでしょうか。

(この項、続く)


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