2010年07月25日

〔マルコによる福音書講解説教〕

第32回「マルコによる福音書5章21〜24節」
(10/01/17)(その2)
(前号より続く)

 さて、ヨハネによる福音書によれば、ベトサイダはアンデレとペ
トロの町、そして十二弟子の一人であるフィリポの出身地とされて
います(1:44)。マルコによる福音書1:29ですでに学んだように、ペ
トロとアンデレの家はカファルナウムにありますので、ベトサイダ
は彼らが幼少期を過ごした町だったのでしょうか。ちなみにベトサ
イダという地名は、ヘブル語で「漁夫の家」を意味する言葉に由来
する、とも言われていますので、漁業関係者が多く住む町だったの
かも知れません。
 が、ベトサイダでのイエスの宣教の記録はほとんどありません。
二つだけあります。ルカによる福音書だけが、「五千人の供食」が
ベトサイダで行われたと伝えています(9:10)。また、マルコ8:22以
下によると、イエスはベトサイダで盲人を癒されました。
 逆に、マタイ11:21(ルカ10:13)では、イエスがベトサイダを呪っ
ておられます。
 「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。お前た
ちのところで行われた奇跡が、ティルスやシドンで行われていれば、
これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって悔い改めたに
ちがいない。」(マタイ11:21)
 以上のことから、イエスがベトサイダに上陸されたのだとします
と、イエスの上陸と同時に、「大勢の群衆がそばに寄ってくる」こ
とはほとんどありえません。やはり、上陸地点は、イエスがずっと
宣教活動の中心としてこられた町、そして多くの人が癒され、教え
を受け入れたカファルナウムだったのではないでしょうか。
 ゲラサ人の地で悪霊祓いをされたイエス一行は、多分その日のう
ちにカファルナウムに戻って来られました。群衆が夜を徹してイエ
スの帰りを待っていたということではないと思われますが、イエス
の上陸を見て、聞いて、多くの人々がイエスの周りに集まってきま
した。その時のことです。

 22〜23節「会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、イエスを
見ると足もとにひれ伏して、しきりに願った。」
 一人の人が来ました。この人は会堂長の一人でした。会堂長は、
協会訳聖書では会堂司と訳されていましたが、ユダヤ教の会堂、シ
ナゴグの管理運営責任者です。シナゴグの代表者として、対外折衝
に当たりました。また、管理責任者として、シナゴグの建築や営繕
のための寄付を募ることもこの人の仕事でした。そればかりではあ
りません。祭司や律法学者、ラビのような聖職者ではありませんで
したが、ユダヤ教の儀礼や典礼にある程度精通していることが求め
られました。礼拝においてトーラー(律法)の朗読をだれがするか、
祈祷の先唱者をだれにするか決めるのも、さらには、説教者を連れ
てくるのも、この人の仕事でした。信徒ならば、だれでもなれたよ
うです。碑文には、会堂長の名前として、女性の名前も、子どもの
名前も出てくるとの事です。しかし、儀式や典礼を取り仕切る関係
上、会堂長になるためには、一定の資格は求められました。一つの
シナゴグに何人もの会堂長がいるケースも普通でした。
 ところで、この人はなぜイエスの所に来たのでしょうか。この点
についても、イエスの上陸した地点が、ベトサイダである場合と、
カファルナウムである場合とで、事情が全く異なってきます。もし、
ベトサイダだとすると、どうなるでしょうか。この人はイエスの評
判を聞いて、初対面であるにもかかわらず、イエスの許へ願い事を
もってやって来たことになります。私たちもしばしば、この物語を
そのように解釈してきたのではないでしょうか。ところが、イエス
の上陸地点がカファルナウムだとなると、事情は全く変わってきま
す。
 カファルナウムの町は現在はありません。今日、テル・フームと
呼ばれる地に遺跡があり、それがカファルナウムの町の跡であると
ほぼ断定されています。その遺跡の中でもっともよく残っているの
がシナゴグの跡です。残存する遺跡は、3世紀以前のものではない、
と確認されていますが、南北24m、東西18mの立派なシナゴグの遺
跡です。東側には中庭があり、中庭を囲む中廊では、学校が開かれ
たり、そこが貧民のための宿泊所になったりしていました。この建
物の前、イエスの時代のシナゴグがどの程度の規模のものであった
か、定かではありませんが、この遺跡の規模に準ずるものだったの
ではないでしょうか。この人は、そのシナゴグの会堂長の一人だっ
たのです。
 カファルナウムの会堂へ、イエスは度々お出かけになられました。
カファルナウムにおられる時は、安息日の礼拝はそこで守っておら
れたに違いありません。会堂長が礼拝出席者を把握していないはず
はありませんので、この人はイエスのことを見知っていたはずです。
 更に、この人はイエスを、会衆の一人として以上に知っていまし
た。1:21に依れば、イエスが初めてカファルナウムの会堂に入られ
た時、説教をされました。イエスに説教をさせた(依頼した)のは会
堂長のはずです。当然の事ながら、会堂長はイエスの説教を聞いた
はずです。また、イエスはこの会堂で汚れた霊に取り付かれた男に
出会い、悪霊祓いを行いました。この人はそれをも見ていました。
しかし、この人はそれらのイエスの業をどう受け止めたのでしょう
か。

(続く)


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