2010年07月18日
〔マルコによる福音書講解説教〕
第31回「マルコによる福音書5章1〜20節」
(10/01/10)(その3)
(前号から続く)
さて、この物語については、どこが奇跡物語なのかと訝る人もい
るかも知れません。悪霊祓いはどこででも行われていたからです。
聖書学者の中には、この物語を、他の悪霊祓い師がしたことをイエ
スがしたことにしただけ、と考える人もいます。しかし、悪霊祓い
師には、悪霊の追放はできても、悪霊を滅ぼすことはできません。
イエスはここで、2000名ものダイモニオンの絶滅を実現することに
よって、ご自身の栄光を顕されたのです。それが、奇跡です。
14-17節「豚飼いたちは逃げ出し、町や村にこのことを知らせた。
人々は何が起こったのか見に来た。彼らはイエスのところに来ると、
レギオンに取りつかれていた人が服を着、正気になって座っている
のを見て、恐ろしくなった。成り行きを見ていた人たちは、悪霊に
取りつかれた人の身に起こったことと、豚のことを人々に語った。
そこで、人々はイエスにその地方から出て行ってもらいたいと言い
出した。」
奇跡に対する反応の一つです。見ていた豚飼いたちはびっくりし
てこのことを同胞の町や村に知らせました。「知らせる」と訳され
ている語は「あからさまに知らせる」という意味の語です。「こう
だった」「ああだった」と感情を込めて語ったのでしょう。話を聞
いた人も興味をもってイエスのところへやって来ました。そこでそ
れらの人々が目にしたのは、あのダイモニオンに憑かれていた人が、
服を着、正気になって座っている様です。原文では、座って、服を
着、正気になって、の順序です。大事なことは、この人が正気になっ
たことです。その人が救われたことを確認し、サタン王国の滅亡と、
神の国、神の支配の実現をこの目で確認したのです。15節の「見る」
は、本質を見るの意味です。それゆえ、神の業を見て畏れたのです。
そして、このことは見た人からさらに語り継がれていきました。と
ころが、人々の判断は「イエスは出て行け」です。大衆は、しばしば
自己保身のために、救いが示されても、こうした、神の国、神の支
配を妨害する行動に出ます。私たちは、大衆の一人でしょうか。
18-20節「イエスが舟に乗られると、悪霊に取りつかれていた人が、
一緒に行きたいと願った。イエスはそれを許さないで、こう言われ
た。『自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐
れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。』
その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごと
くデカポリス地方に言い広め始めた。人々は皆驚いた。」
イエスはガリラヤ湖東岸での宣教活動を終え、ガリラヤへ戻るた
めに舟に乗られました。すると、イエスによって救われた人、ダイ
モニオンに憑かれていた人が「一緒に行きたい、」すなわち舟に同
乗している十二弟子と同じ働きがしたい、と願い出たのです。しか
し、イエスはそれを許しませんでした。が、イエスは、この人がイ
エスの後をついて行く、弟子となることを許さなかったのではあり
ません。十二弟子と同じ働き、すなわち、殉教をも覚悟の上で裁き
を告げる備えをするのを許さなかったのです。彼には、自分の家に
帰り、近隣の人々に「主が私を憐れみ、私にしてくださった」こと
を知らせる、すなわち、神の国、神の支配を宣教する役割が与えら
れたのです。
イエスが宣教の働きを弟子に託したのは、ここが最初です。そし
て、この人は、イエスのご命令どおり、ゲラサもその一つであるデ
カポリスに神の国、神の支配の開始を告げ知らせたのでした。
私たちは、イエスの弟子たちによって、宣教活動が開始されたの
は、イエスの復活後エルサレムにおいてである、と思い込んではい
ないでしょうか。が、実は、それより前、イエスによってサタンの
支配から解放されたこの異邦人の弟子によって、しかも異邦人の地
で、しかもイエスがティルス地方に行かれる(7:24〜)前に、ここで
宣教活動が開始されていたのです。
神のご計画の下で、イスラエル以外の地は、決して添え物ではな
いことがわかります。私たちはそのことを覚え、希望をもって主を
告げ知らせてまいりましょう。ちなみに、ゲラサの町は、紀元8世紀
に起こった地震で崩壊してしまいましたが、その遺跡からは、11も
の教会の跡が見つかったとのことです。
(この項、終わり)
第32回「マルコによる福音書5章21〜24節」
(10/01/17)(その1)
21節「イエスが舟に乗って再び向こう岸に渡られると、大勢の群
衆がそばに集まって来た。イエスは湖のほとりにおられた。」
ゲラサ地方での悪霊祓いを終えられたイエスは、舟に乗って再び
向こう岸へ渡られました。ということは、こちら側のカファルナウ
ムへ再び戻って来られたということのはずです。が、戻って来たの
は、出発地のカファルナウムではなく、ベトサイダであると考える
人がいます。マルコ6:45では、ベトサイダの町が「向こう岸のベト
サイダ」と呼ばれているからです。ベトサイダという町は、ガリラ
ヤ湖北岸にあった町です。ガリラヤ地方に属する町なので、ユダヤ
人にとっては国内です。しかし、ヨルダン川の河口の東に位置する
ので、「向こう岸」と言えなくもありません。
(この項、続く)
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