2010年07月04日
〔マルコによる福音書講解説教〕
第30回「マルコによる福音書4章35〜41節」
(10/01/03)(その3)
(前号から続く)
しかし、この絶望状態において奇跡が起こりました。
39節「イエスは起き上がって、風を叱り、湖に『黙れ、静まれ』
と言われた。すると風はやみすっかり凪になった。」
突然むっくり起き上がられたイエスが。風を叱り、非難し、湖に
向かって、「黙れ、静まれ」と言われると、凪になったというので
す。奇跡です。弟子たちは救われました。しかし、事はそこに止ま
りません。41節で弟子たちが言っているように、イエスが自然をも
コントロールできるお方であられることをお示しになられたのです。
弟子たちの畏れは並大抵のものではありませんでした。
しかし、イエスはこの奇跡によって、ご自身がスーパーヒーロー
であることをお示しになられたのでしょうか。ヒントがあります。
「起き上がる」という語です。この語は、イエスの復活を指し示し
ます。つまり、死んで陰府に降り、眠っておられたイエスが起き上
がり、よみがえられて、神としてのご自分を示された、そのよみが
えりの出来事と同じ出来事が、この嵐の船上で起こったのです。こ
の奇跡の先に十字架と復活が示されていました。
40〜41節「なぜ怖がるのか。まだ、信じないのか。弟子たちは非
常に恐れて、『いったいこの方はどなたなのだろう。風や湖さえも
従うではないか』と互いに言いあった。」
40節の「怖がるのか」は、原文では「なぜ卑怯なのか?」「なぜ臆
病なのか?」というニュアンスです。主イエス・キリストの奇跡、そ
れを通して、十字架と復活を示され、主のご栄光に与った者には、
信じて受け止めるかどうか、の問いが投げかけられます。この問い
に対し、卑怯にも、臆病にも、逃げるというのが、弟子たちばかり
でなく、しばしば人が取りがちな対応なのではないでしょうか。
まだ十字架と復活を体験していませんから、十分な知識ではあり
ませんが、それでも、イエスの大きさを感じたものですから、弟子
たちは「この方はどなたなのだろう」という問いへ向かいました。
弟子たちは、イエスにスーパーヒーローを超えた何かを感じ取った
のです。信仰告白まで、もう一歩です。
私たちは、主イエス・キリストの奇跡に直接出会うことは出来ま
せん。しかし、イエスが十字架に死に、そしてよみがえられたとい
う最大の奇跡を、教会を通して、聖霊の助けによって受け継いでい
ます。私たちも弟子たちと同じように、「この方はどなたなのだろ
う」という問いの前に立たされています。卑怯にも、臆病にも、こ
の問いから逃げるのではなく、イエスを主と告白する信仰告白が与
えられるよう、聖霊の助けを求めて歩んでまいりましょう。
(この項、終わり)
第31回「マルコによる福音書5章1〜20節」
(10/01/10)(その1)
一連のイエスの奇跡物語、二番目の物語です。
1〜5節「一行は、湖の向こう側にあるゲラサ人の地に着いた。イ
エスが舟から上がられるとすぐに、汚れた霊に取りつかれた人が墓
場からやって来た。この人は墓場を住まいとしており、もはやだれ
も、鎖を用いてさえつなぎとめておくことはできなかった。これま
でにも度々足枷や鎖で縛られたが、鎖は引きちぎり足枷は砕いてし
まい、だれも彼を縛っておくことはできなかったのである。彼は昼
も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた。」
弟子たちと一緒に湖のこちら岸を出発されて、翌朝のことになる
のでしょうか、一行は対岸に到着しました。そこはゲラサ人の地方
でした。
ゲラサという町は、ガリラヤ湖の南東約51km、ヨルダン川から
も32kmほど離れていますが、ヨルダン東岸の小高い丘の上にあっ
た町です。ヨルダン川東岸は、本日の旧約書で読みましたように、
イスラエルの十二部族の一つ、ガド族の住むところでした。この地
域は東に異民族と接していますので、ガド族は異民族との戦いに苦
労しました。士師記11章には、ガド出身の士師エフタが、アンモン
王と戦った様が記されています。それでも北王国の時代まではイス
ラエルの領土として持ちこたえていました。が、北王国の滅亡とと
もに、アッシリアの一州となり、アンモン人がそこに住むこととな
って、完全に外国、異邦人の住むところとなってしまったのです。
今、遺跡として残っているゲラサの町は、紀元前3世紀に溯ること
ができますが、当然のことながら異邦人の町です。東方貿易の通り
道として大いに栄えました。そのゲラサの町からガリラヤ湖までは
51km離れていますが、ゲラサの町の勢力がそこまで及んでいたの
だと思われます。それでマルコは、イエスが上陸したこの地をゲラ
サ人の地と呼んでいるのです。要するに異邦人の地へ上陸された、
ということです。
舟から上がられたイエスを出迎えたのは、悪霊、ダイモニオンに
取りつかれた人でした。マルコで「悪霊」とか「汚れた霊」とか言
われているのは、ダイモニオンのことです。
(この項、続く)
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