2010年06月20日

〔マルコによる福音書講解説教〕

第29回「マルコによる福音書4章30〜34節」
   (09/12/27)(その2)
(前号から続く)

 一連のたとえの結論は神の国、神の支配への招きです。私たちも、
その招きに応えることが求められています。
 しかしながら、「からし種」のたとえには、マタイとルカに記録
されているもう一つの「からし種」のたとえがあります。同じ「か
らし種」を素材としてはいますが、微妙に意味が違いますので、今
日は、そちらの「からし種」のたとえにも触れておきましょう。違
いがはっきりしているルカによる福音書の物語を取り上げてまいり
ます。
 ルカによる福音書13章18〜19節。
 「そこで、イエスは言われた。『神の国は何に似ているか。何に
たとえようか。それは、からし種に似ている。人がこれを取って庭
に蒔くと、成長して木になり、その枝には空の鳥が巣を作る。』」
 マルコ版の「からし種のたとえ」との違いはどこにあるでしょう
か。ルカが「からし」について知らなかった、ひょっとしたら見た
ことがなかったらしいことはともかくとして、19節で「種を蒔く人」
が登場していることです。ということは、イエスと共に初めて公に
された神の国、神の支配を宣べ伝える仕事が、弟子たちそして使徒
たちに受け継がれている時代、おそらく使徒言行録の時代が想定さ
れているのです。そして、弟子たち、使徒たちによって伝えられた
神の国、神の支配が大きく成長して、その下で多くの人が保護され
る、これがルカ版の「からし種のたとえ」の意味です。
 「弟子たち、使徒たちによって伝えられた神の国、神の支配」と
は何でしょうか。それはもちろん、マルコ版の「からし種のたとえ」
でイエスが言われた、将来、神の力によって大きく成長させられる
神の国、神の支配です。しかし、使徒たちの時代になると、神の国、
神の支配は教会という目に見える形でこの世界につくられることと
なりました。教会は、将来神によって完成される神の国、神の支配
の先取りです。そして実際、最初は本当にちっぽけだった教会が、
だんだん、だんだん成長して、世界の多くの人を保護するようになっ
てきました。ルカ版の「からし種のたとえ」においては、「からし
(種)」は教会のことを指すと考えられたのでした。
 教会が成長発展して、世界のすべての人が保護される時が来るの
でしょうか。来るといいのですが、その時はまだ来ていません。が、
少なくともヨーロッパでは、13世紀ごろ「その時」が来たかのよう
に思われた時がありました。ヨーロッパ中すべての人がクリスチャ
ンになり、教会の保護の下に置かれたのです。ある人は、神がもた
らす神の国、神の支配が実現したと錯覚しました。そして、多くの
間違いを犯しました。たとえ、全世界の人が教会の保護下に置かれ
たとしても、それは神のなしたもう神の国、神の支配の準備に過ぎ
ません。マルコ版の「からし種のたとえ」は、神の国、神の支配が
あくまでも神の力によってもたらされるということも言っています。

 33-34節「イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのた
とえで御言葉を語られた。たとえを用いずに語ることはなかった。
が、ご自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。」
 4章1節からここまで、イエスはたとえを群衆に、そして弟子たち
に、と使い分けてこられました。すなわち、聞く力に応じてたとえ
を語られたのです。群衆に対しては、神の国、神の支配への招きを、
弟子たちには神の国、神の支配を伝え続けるべきことをたとえをもっ
てお教えになられました。
 日本の教会は、ヨーロッパの教会のように、神の国、神の支配の
実現を錯覚するようなところへは到底行っていません。私たちは、
イエスの時代の群衆、そして弟子たちと全く同じところにいます。
神の国、神の支配への招きを素直に受け止め、そしてそのさきがけ
としての教会の発展のために励み続けていきたいものです。

(この項、終わり)


第30回「マルコによる福音書4章35〜41節」
(10/01/03)(その1)

 マルコによる福音書は、イエスの到来によって、神の国、神の支
配が始まったことを告げる書です。この喜ばしき知らせ、福音をイ
エスは医療活動と教えとをもって人々に告げ知らせてきました。
 このイエスの医療活動をいわゆる奇跡と考える人がいますが、そ
れは間違いです。イエスは医者がいるのにそこに行くことを禁じ、
わけのわからない擬似医療行為を行ったわけではありません。イエ
スが行ったのは、正当な医療行為です。しかもよい医療行為でした。
患者に病気の苦しみからの解放を与え、神の国、神の支配の喜びを
指し示されたのです。「教え」についても同様です。神の国、神の
支配が始まった、その喜びを、たとえをもって伝えられたのです。
 しかし、神の国、神の支配の完成は、イエスの十字架による、罪
の贖いの成就まで待たねばなりませんでした。ところが、ここで私
たちは、4:35〜に来て、一見すると、神の国、神の支配が完成して
しまったかのような出来事に出会うのです。文字通りの「奇跡」で
す。現実世界では私たちが体験することがないような、すばらしい
出来事、それをなされるイエスはいわゆる「ヒーロー」としてこの
世に来られたのでしょうか。

(続く)


(C)2001-2010 MIYAKE, Nobuyuki & Motosumiyoshi Church All rights reserved.