2010年06月13日

〔マルコによる福音書講解説教〕

第28回「マルコによる福音書4章26〜29節」
(09/12/13)(その3)
(前号から続く)

 実は、鎌は神の裁きのシンボルです。今、この世界では、神に逆
らう人間が大手を振るって闊歩しています。しかし、終末の時、神
がみ業を完成される時には、神はこれらの人間を鎌をもって切り倒
されるということです。ヨハネの黙示録14章でも、鎌は神の裁きの
道具です。神が地に鎌を投げ入れられると、天使が地上のぶどう(こ
れは悪人のこと)を刈り入れます。刈り入れられたぶどうは、搾り桶
に投げ込まれ、搾られて、そこから血が流れ出るのです。29節の収
穫とは、この裁きの出来事を言っています。
 なぜ、日常の収穫の喜びでもってたとえられる神の国の完成が、
恐ろしい、おどろおどろしくさえある裁きをもって終結するのでしょ
うか。一つには、終末になると、神によってすべてのことが明るみ
に出されるからでしょう(マタイ25章)。が、それに加えて、マルコ
による福音書で特に強調されていることは、神の国の完成が私たち
の決断を促すということです。イエスによって、イエスを通して神
の国が完成されたからには、私たちには、バプテスマのヨハネが宣
べ伝えたように、「悔い改めて洗礼を受け、イエスに従う道を歩み
始めること」が求められるのです。そういう救いへの道が開かれた
のです。道が開かれた以上、外れた者には裁きが待っているという
ことになります。
 イエスは癒しを通しても、神の国の実現を指し示しました。多く
の人が受け入れました。しかし、ファリサイ派はその癒しをどうし
ても受け入れようとせず、滅びへの道を歩み始めました。イエスは
今、たとえを通して、神の国の完成をさし示しています。私たちが
ファリサイ派の轍を踏むことのないよう、聞いて、悔い改めて、洗
礼を受けて、新たな人生を歩み出す、そういう者であらせていただ
きたい、と願うものです。

(この項、終わり)


第29回「マルコによる福音書4章30〜34節」
   (09/12/27)(その1)

 ガリラヤ湖畔で、イエスはおびただしい群衆を前に教えられまし
た。その時、最初に語られたのが、「種を蒔く人」のたとえでした。
その後、イエスが一人になられたとき、十二人及びその他の弟子た
ちがたとえについてお尋ねしました。イエスは、神の国のたとえが
聞かれなくなる時、すなわち迫害の時を警戒するよう弟子たちを諭
されました。弟子たちは、そのような時でも、神の国、神の支配を
明らかにしていかねばなりません。「種を蒔く人のたとえの説明」
「ともし火」「はかり」のたとえを弟子たちに示され、たとえ迫害
があっても、神の国、神の支配の到来を隠したり、無にしたりする
ことのないよう、弟子たちに警告されました。
 26節から再びガリラヤ湖畔です。イエスは再び神の国、神の支配
をたとえで群衆に語られます。そして、神の国、神の支配の到来の
たとえの最後に「からし種」のたとえを語られました。本文に入っ
てまいりましょう。

 30節「更に、イエスは言われた。『神の国を何にたとえようか。
どのようなたとえで示そうか。…』」
 バプテスマのヨハネによって予告された神の国、神の支配の到来
は、イエスの宣教開始によって実現しました。イエスは今や、神の
国、神の支配の実現をたとえによって告げられます。そのたとえの
要約、集大成がこの「からし種」のたとえです。

 31節「それはからし種のようなものである。」
 ここで言われる「からし」は、西アジア原産の「クロガラシ」の
ことです。元来は野草でしたが、その種から採れる油が高く売れる
ため、広く栽培されるようになりました。うまく育てれば、高さ5メー
トルにも及び、4〜6月には黄色い花をつけ、そして黒い種をつけま
す。種から油が採れるばかりではなく、茎や殻も家畜の飼料となる
とのことです。

 31節後半〜32節前半「土に蒔くときには、地上のどんな種よりも
小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、」
 その種は、本当に小さいものです。もっとも、現代の植物学の知
識からすると、もっと小さい種を持つ植物もあるそうです。とはい
え、当時の農民の知識においてはもっとも小さい種でしたでしょう。
私たちも当時の農民の感覚を想像しながら受け取ることが大切です。
ところが、これが一旦地に蒔かれると、5メートルにもなり、これも、
当時の農民の感覚から言えば、地上最大の野菜となるのです。

 32節後半「葉の影に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」
 大きくなった成果がここに表現されています。野菜ですから、枝
というよりは葉ですが、その葉の下に、空の鳥が日差しや雨を避け
て巣を作るのです。これも農民の体験していることそのままです。
このたとえがわかりやすいごとく、ここでイエスがおっしゃりたい
ことも明々白々です。今、イエスが「来た」と宣言された神の国、
神の支配は、今はからし種のように小さくて見失われそうなものか
もしれないが、神から与えられたいのちの力で成長し、多くのいの
ちを保護しさえするのです。

(この項、続く)


(C)2001-2010 MIYAKE, Nobuyuki & Motosumiyoshi Church All rights reserved.