2010年06月06日
〔マルコによる福音書講解説教〕
第28回「マルコによる福音書4章26〜29節」
(09/12/13)(その2)
(前号から続く)
振り返ってみますと、マルコによる福音書は、バプテスマのヨハ
ネの「荒れ野で叫び」から始まりました。バプテスマのヨハネは、
神の国の到来に備えて、悔い改めを人々に勧め、罪の赦しのしるし
としての洗礼(バプテスマ)を人々に勧めたのでした。バプテスマの
ヨハネの後を受けて、イエスは「時は満ち、神の国は近づいた。」
と宣言されて、福音宣教を開始されました。この神の国、神の支配
はイエスの十字架をもって完成することとなるのですが、そのしる
しとしてイエスは癒しの業をこれまで続けてこられたのです。
そして今やいよいよ、その神の国、神の支配が言葉で語られるこ
ととなります。その神の国のたとえの内容が次のようなものです。
26節c〜27節「人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、
種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知ら
ない。」
たとえで語られる内容は、人々が日常体験している出来事です。
そしてそれは「人が土に種を蒔く」農業です。そもそもマルコによ
る福音書は、他の福音書に比べて牧畜業のたとえが稀です。有名な
百匹の羊のたとえも、マルコによる福音書にはありません。ガリラ
ヤ地方は、パレスチナの中にあっては比較的雨量が多く、農業がも
っとも盛んなところです。ガリラヤ伝道に記述の一つの重点を置い
たマルコによる福音書においては、自然農業のたとえは多くなりま
す。そしてそれは、どちらかと言えば農耕民族である私たちにとっ
て、マルコによる福音書講解説教による福音書をより親しみやすい
ものとしているのです。
私のおじ、いとこ、いとこの子は農民です。間接的に知る限りで
はありますが、農業は、夜明けと共に仕事が始まり、日没と共に仕
事が終わる、そういう職業です。なぜなら、作物は太陽の日差しと
共に成長するからです。27節で「夜昼、寝起きしているうちに」の
一文は、何もしないでいる様を表しているように思えるかもしれま
せん。しかし、農業の実態を鑑みれば、夜寝て、昼起きて、その日
一日のなさねばならぬ一日の業をなす、という農民の日常生活を表
現していることがよくわかります。が、そうやって毎日欠かさず世
話をしたとしても、作物の成長にとっては「助ける」仕事でしかあ
りません。「種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、
その人は知らない。」農民も、種が芽を出して成長すること自体に
ついては、結果を知るのみです。ここで「どうして」と訳されてい
る語は英語で言う「how」でして、「どのようにして」ということ
です。ちなみに、この「知る」は体験的に「知る」の意味で、知識
として「知る」の意味ではありません。人は、作物がどのようにし
て成長するのか、それを体験的に知ることはできないのです。
28節「土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、
そしてその穂には豊かな実ができる。」
農民は、作物の土壌を整えますが、成長は「ひとりでに」なされ
ます。「ひとりでに」と訳されている語は、英語のオートマティッ
クの語源でもあるオートマテーという語です。「自動的に」という
ことです。他からの力によってではなく、種の持つ「いのち」の力
により、茎、穂、実の順序で、法則どおりに実りをもたらすという
ことです。結局、成長は、いのちの与え主、神に由来するのです。
使徒パウロは、コリントの信徒への手紙一3:6で、「わたしは植え、
アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。」
と言っています。ここでは本来は種のことではなくて、教会のこと
を言っているのですが、種についてもまったくそのとおりです。種
を神が実らせるように、神の国は神が実現なさる、これがこのたと
えの結論です。実際、神は御一人子イエス・キリストをこの世に遣
わされ、十字架上で贖いの死を遂げさせるという、私たちには思い
もつかない、そし出来ない方法をもって、私たちの救いを完成し、
神の国を実現してくださいました。イエスはたとえをもってこれか
ら起ころうとする神の出来事を、神の国の完成を指し示されたので
す。
しかし、神の国の完成となると、これは、旧約聖書において預言
されてきた終末の出来事、神のみ業の完成を指すこととなります。
29節は、たとえの延長ではなく、神の国の実現が、即終末の実現
であることが、旧約聖書の引用をもって告げられます。
29節「実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」
もしも、29節がたとえの延長であるとするならば、そこには、農
民たちがその豊かな実りを楽しむという結論が来るはずではないで
しょうか。ところが、神の国の実現がなされた時、そこには日常の
経験では起こりえないこと、たとえを超えたこと、神の裁きが起こ
るのです。29節はヨエル書4:13の預言の実現を指し示しています。
預言者ヨエルは、イスラエルの民がバビロン捕囚から帰還した後に
活動した預言者です。その頃イスラエルにいなごの襲来による大旱
魃がありました。ヨエルはこの天災をきっかけとして人々に悔い改
めを勧めました。そしてそこから更に進んで、終末の時が来ること、
その時には神の裁きがあることが預言されています。
(この項、続く)
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