2010年04月25日

〔マルコによる福音書講解説教〕

第24回「マルコによる福音書4章1〜9節」
(09/11/15)(その3)
(前号より続く)

 2000年の時空を隔ててこの物語を聖書の言葉として聞く私たちに
とっても大変にわかりやすい話です。まして、似たような出来事を
毎年、毎年経験している当時のパレスチナの人々、特に農民にとっ
て、この物語は極めてわかりやすい、そして共感を覚える物語であ
ったに違いありません。
 しかし、イエスは冒頭に「よく聞きなさい」と言われました。「よ
く聞きなさい」は原文では「あなた方は聞きなさい」です。ただ聞く
のではなくて、「注意して聞きなさい(傾聴して聞きなさい)」の意
味です。この易しい物語を深い真理への導きとして、つまり神との
深い出会いに至るように聞き取りなさい、という意味です。
 しかし、この易しい、ということは単純な物語のどこをどう聞い
たら深い真理に至るのでしょうか。それは、私たちがしばしば誤解
するように、この単純な物語をこねくり回して複雑な物語に仕立て
上げていくことによってではありません。易しい物語であるという
ことは、だれでもがわかり、だれでもが感動する物語であるという
ことです。その感動が深い真理との出会いに通じるということです。
この「種蒔きのたとえ」について言えば、蒔かれた種が、そのいくつ
かは成長しなかったという苦労を経た上で、多くの種が成長して莫
大な実りを得られたこと、これが極めて大きな喜びであるというこ
とです。その喜びが神の国到来の喜びに通じるのです。神の言葉で
あるイエスがこの地上に来られて救いの時を開始されたことは、そ
れだけ大きな喜びなのです。

9節「そして『聞く耳のある者は聞きなさい』と言われた。」
 イエスは、イエスの教え(たとえ話)から、神の大きな恵みの喜び
を聞き取る者を求めておられます。私たちも、イエスの言葉を聞き
流すだけの者とならないように、大きな恵みを聞き取って、救いの
喜びに与る者となりましょう。

(この項終わり)


第25回「マルコによる福音書4章10〜12節」
(09/11/22)(その3)

 今日は物語の展開を追うところから入ってまいります。

10節「イエスがひとりになられたとき、十二人と一緒にイエスの周
りにいた人たちとがたとえについて尋ねた。」
 イエスはひとりになられました。しかし「いつ」でしょうか。
「種を蒔く人」のたとえを語られた直後でしょうか。
 前回のところですが、イエスはおびただしい群衆を前にして、自
らは舟に乗られて、湖畔にいる群衆に教えておられました。すでに、
たくさんの医療活動をされた(3:7-12)その後だったかも知れません。
イエスはたとえでたくさんのことを教えられました(2節)。そしてそ
のたとえの中の代表的なものが「種を蒔く人のたとえ」でした。群
衆はまだまだイエスの教えを聞きたい、そういう状況だったのでは
ないでしょうか。
 この時、イエスが直ちに一人になろうとされたら、群衆を直ちに
解散させなければなりませんが、そのようなことはそもそも書いて
ありません。また、気持ちが高揚している群衆を解散させるのは、
かなり難しいのではないでしょうか。さらに、少し先ですが、31節
以下を見ると、「その日の夕方になって、イエスは『向こう岸へ渡
ろう』と弟子たちに言われた。そこで、弟子たちは群衆を後に残し、
イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した…」とあります。31節以下はど
う考えても、4:1-9の出来事の続きと受け止めるのが自然です。
 すなわち、実際の流れはこうだったのではないでしょうか。イエ
スは「種を蒔く人のたとえ」を語られた後にもたくさんのたとえを
語られました。このときイエスが語られたたとえの中に、21節以下
の「ともし火」と「秤」のたとえ、26節以下の「成長する種」のた
とえ、30節以下の「からし種」のたとえも含まれていたかも知れま
せん。ともかく、そうして夕方になってしまいました。そこで、弟
子たちは群衆を後に残し、つまり自然解散して、イエスのご指示に
従って、舟を沖の方へ漕ぎ出して行ったのです。
 それでは、10節から20節までは何か、というと別の日の出来事、
それを福音書編集者のマルコが前後に関係あるとして、ここに挿入
したのです。今日は、その前半の10-12節を学んでまいります。

 ということで、イエスが種を蒔く人のたとえを語られてからしば
らくたった後のことです。イエスがひとりになられたとき、12人と
「イエスの周りにいた人たち」とが、イエスのみ許に集まって来ま
した。「イエスの周りにいた人たち」とは3:34で「(イエスの)周り
にいる人々」と呼ばれた人々と同一です。このころになると、イエ
スの弟子も増えてきて、十二人以外の弟子も出来ました。そして、
彼らは、イエスの愛を受け入れた人、イエスの言葉を聞いて受け入
れた人、後の時代クリスチャンと言われる人の走りとなりました。
「十二人」も含めて、クリスチャンがイエスにたとえについて尋ね
ました。

(この項続く)



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