2010年04月18日

〔マルコによる福音書講解説教〕

第24回「マルコによる福音書4章1〜9節」
(09/11/15)(その2)
(前号より続く)

 新約聖書の時代になって、神の言葉は受肉し、人として、私たち
の目に見える形で現れられることとなりました。イエス・キリスト
です。しかし、人としてのイエスは見えても、その神性は隠されて
おり、この神の国到来の出来事は、イエスの言葉(教え)と、その言
葉の実践(業)によって宣べ伝えられることとなりました。人々はイ
エスの言葉に聞き、受け入れ、従い、そしてその言葉を実行するこ
とによって、神の言葉としてのイエス・キリストに出会い、神と出
会うこととなるのです。
 そのイエスの言葉(教え)の一つがたとえ話です。教えにおいても、
イエスはストレートに語られることをなさいません。イエスはたと
えを通して、神の国の到来、新しい救いの時の到来を告げ知らされ
るのであります。

早速、本文に入ってまいりましょう。
1節「イエスは、再び湖のほとりで教え始められた。おびただしい群
衆が、そばに集まって来た。そこで、イエスは舟に乗って腰を下ろ
し、湖の上におられたが、群衆は皆、湖畔にいた。」
 「再び」という語で導かれているように、3:7以降の場面が再現さ
れています。3:7,8と4:1とでは原語の表現は違いますが、おびただ
しい群衆が再びイエスのそばに集まって来ました。それで、イエス
は舟で湖上へ出られて、湖畔にいる群衆に語りかけられるのであり
ます。3:7以降と全く同じです。ところでイエスの乗られた舟ですが、
3:9では「小舟」と記され、4:1では「舟」と記されています。別の舟
だろうと多くの註解者が推測しています。しかし、3:7以降の講解の
時にも申し上げたように、その当時の経済水準を考えた時に、弟子
たちが何艘もの舟を用意することは不可能であったて考えられます。
同じ舟なのではないでしょうか。

 マルコの記述に従うと、マルコ3:7-12の出来事の後、イエスは大
変にお忙しくしておられました。船上で教えられた後、おそらく一
旦陸に上がられ、山へ登られて、十二人を選ばれました(3:13-19)。
山から下りられると、今度はシモンの家へ行き、食事をする暇もな
いくらいに医療活動に従事され、その際、取り押さえに来た親族に
対抗されました。そしてまた別の機会に、親しい人々に教えを施し
ておられる時、呼びに来た家族、問題を抱えたご自身の家族に対応
されました。そして、もう一度湖に戻られて、3:7以降と同じ場面を、
カットした映画の撮影の続きを継続するかのようにして、再開され
るのであります。
 これは推測に過ぎませんが、本来はこの4:1以降の物語は、3:7-12
に接続する物語だったのではないでしょうか。マルコは、イエスの
出来事を福音書に編集する際、大筋は時間の順序ですが、多少の編
集の手を加えたようであります。もしそうだとすると、3:7以下で
おびただしい群衆の求めに応じて医療活動に従事されたイエスが、
やっと一段落、いよいよ教えに入られる、その場面であります。

2節「イエスはたとえでいろいろ教えられ、その中で次のように言わ
れた。」
 イエスが神の国の到来を、福音を、教えという形で伝えられたこ
と、それはすでに1:21、2:3に記されています。しかし、その教えの
内容が紹介されるのは、マルコによる福音書ではここが初めてです。
そして、その教えはたとえ話でした。
 ここで「たとえ」と訳されている語は、原語では「パラボレー」
です。パラボレーという語は「ことわざ(ルカ4:23)」という意味で
使われることも、それに近いですが、「訓語(マタイ15:15)」の意
味で使われることもあります。しかし、多くの場合は、「たとえ」
または「たとえ話」という意味で用いられています。易しい語、易
しい物語をもって深い真理を類推させるのであります。ここでは
「たとえ話」の意味で用いられています。それではそのたとえ話の
内容はどのようなものだったのでしょうか。

 3〜8節「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔
いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほ
かの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのです
ぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れて
しまった。ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさ
いだので、実を結ばなかった。また、他の種はよい土地に落ち、芽
生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あ
るものは百倍にもなった。」
 パレスチナの当時の農業の方法では、種を蒔いてから土を耕して
いたらしいので、種が道端に落ちたり、石地に落ちたり、茨の中に
落ちたりすることがありました。それらは当然のことながら、鳥に
食い尽くされたり、日に焼かれて枯れてしまったり、茨に成長を阻
まれたりしたのです。
 が、一点だけ翻訳上の問題があります。4,5,7節の種は、原文では
単数形なのですが、8節の種だけは複数形です。ということは、大部
分の種はよい土地に落ちて、芽生え育って実を結び、三十倍、六十
倍、百倍の実を結んだのです。これがこの物語の主旨です。

(この項、続く)



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