2010年04月04日

〔マルコによる福音書講解説教〕

第23回「マルコによる福音書3章31〜35節」
(09/10/25)(その2)
(前号から続く)

 使者は一人だったはずなのですが、原文では「御覧なさい。…」
を複数の人がイエスに語った(伝えた)ことになっています。イエス
の家族の要求は、たぶん伝言ゲームのようにしてイエスのところに
伝わっていったのでしょう。
 なお、ここに来たイエスの家族ですが、3節では、「母と兄弟たち」
なのに、ここでは「兄弟姉妹」になっています。(ギリシア語の「兄弟」
の語には、「兄弟姉妹」を表す意味はありません。) ここは、有力
な写本が真っ二つに割れているところです。委員会の判断では、
「姉妹」がないほうが有力なのですが、イエスの家族がここに来た
目的を考えると、姉妹方はいなかったと考える方が自然です。要す
るに、ここはかなり緊迫した場面なのです。

 33節「イエスは『わたしの母、わたしの兄弟とはだれか』と答え、」
原文は「だれが私の母、わたしの兄弟たちか?」です。これは反語的
表現でして、イエスは自分の母との親子関係、自分の兄弟関係を強
く否定しているのです。その強い否定が、聞いていた人々に強烈な
印象を与えました。それゆえその言葉が聖書を通して今に伝えられ
ているのです。
 しかし、イエスはなぜ、そんなにまで強烈に家族関係を否定され
たのでしょうか。
 第一の理由は前回明らかになったことです。律法主義的傾向の強
かったイエスの家族において、救いに至るためには律法を守らねば
ならないとするその考え方に対して、神の子として、神のみ心を行
う方として来られたイエスは、はっきりNOと言わねばなりません。
そして、もしも家族が律法主義を押し付けてくるならば、律法主義
への否定は、家族関係の否定にも至らざるを得ません。
 しかし、ここでのイエスの言葉は、単なる律法主義を押し付けて
くる家族の否定に止まらない強さがあります。明らかに家族関係そ
のものを否定しておられます。イエスが家族関係そのものを否定さ
れる意図は何なのか。私たちには、イエスがそうされたのと同じよ
うに、旧約聖書に基づいた若干の考察が必要です。
 そもそも家族とは何でしょうか。家族関係から言うと、夫婦と子
からなる生殖の単位を核とする血縁集団であると言えます。家族集
団のありようは歴史、文化によってさまざまですけれども、その核
となるものはが夫婦と子からなる単位ですから、これを「核」家族
と言うのです。
 旧約聖書の考え方においても、核家族が家族の原型です。神は人
類を男と女とに創造し、「生めよ、増えよ」とご命令されました。
(創世記1:27~28)創世記1章の物語では、人類創造は核家族の形成で
終わってしまっているのですが、創世記12章になって、アブラハム
に始まる選民イスラエルの歴史に突入すると、著しく文化的色彩を
帯びることとなります。その家族は氏族という集団であり、召使た
ちをもその中に含むこととなりました。そして、創造物語において
はどこにもその根拠は記されていないのですが、父が族長となって、
家族(氏族)に対する支配権、財産に関する支配権を持つこととなり
ました。家父長制度です。こうして、家族の原点核家族がイスラエ
ルという文化の中で家父長制へと発展していくのですが、創世記2章
は、家族のもう一つの原点を提示しています。
 創世記2章によれば、そもそも神がエデンの園に人を配置された時、
人は一人だけでした。エデンの園では食料は潤沢であり、生きてい
くには困りませんでした。が、人は一人で、「寂しそう」でした。
それをご覧になられた主なる神(ヤーウェ)は、「人が一人でいるの
は良くない。彼に合う助ける者を造ろう(18節)。」と言われて、野
のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持っ
て来られました(19節)。人はそれぞれに名を付け、共に生活を始め
たのですが、「自分に合う助ける者を見つけることができなかった
(20節)」のです。
 それで「主なる神」は、人のあばら骨から一部を抜き取り、その
骨でもう一人の人を造られました(21-22節)その二人が男と女となり、
共に生きることになって、これでやっと寂しさを紛らわすことがで
きるようになりました。つまり、創世記2章によれば、「慰めの共同
体」の成立が家族の始まりなのです。私たちは、家族のこの側面を、
もう一つの原点として忘れてはなりません。
 この、家族の「慰めの共同体」としての側面は、歴史上のイスラ
エルの氏族の中ではどのように機能したでしょうか。もちろん、家
族・氏族の中いたるところでお互いに支えあったでしょうが、家父
長制の下では、まず第一に「族長の家族・氏族みんなへの愛」つま
り、「父の愛」として示されることとなりました。初代の族長アブ
ラハムは、頼りないおいのロトに土地を与えました。そしてそのロ
トが住んでいた悪徳の町ソドムが崩壊しそうになった時、何べんも
執り成しをしました。
 ところが、この族長制度は、アブラハム、イサク、ヤコブ、ユダ
と、四代目までは受け継がれますが、実際にはそこで終わってしま
います。飢饉によるエジプト移住があったからです。族長制度がな
くなって、イスラエルの家族には「父の愛」の理想だけが残ること
となりました。箴言などには、父が子に教えをなす姿が、憧れをもっ
て描かれています。

(この項、続く)


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