2010年02月21日
〔マルコによる福音書講解説教〕
第20回「マルコによる福音書3章13〜19節」
(09/09/27)(その3)
(前号より、続く)
こんな苦労を重ね、しかも残ったのは二部族だけと、十二部族連
合イスラエルは風前の灯でした。が、それでもユダヤ人は十二部族
連合イスラエルの回復を信じて疑いませんでした。そして、イエス
が十二弟子をお選びになられたのは、この十二部族連合の願いと切
っても切れない関係があるのであります。
それでは、十二弟子に与えられた使命は、失われたイスラエル十
二部族連合の回復ということだったのでしょうか。そうでもあり、
また違うのであります。イエスは確かにイスラエル十二部族連合の
回復を目指されました。が、イエスが目指されたのは、かつてのイ
スラエル十二部族連合のそのままの回復ではなく、「新しい」イス
ラエル十二部族連合の完成だったのであります。
ヨハネの黙示録7章を見てみましょう。ここには終末の時に完成さ
れる、つまり救いに与る「新しい」イスラエル十二部族連合のリス
トが記されています。なんだ! 古代イスラエルの十二部族連合と変
わりないではないか、と思われるかもしれません。が、よく見てく
ださい。違うのです。まず、ダン族の姿が見られません。ダン族は
揺赦され難い不祥事を起こしたため、(士師記17〜18章)リストから
外されていたのであります。エフライムも、北王国時代の背きの中
心でしたから、名前が消えました。が、父ヨセフの名のゆえに、マ
ナセと合わさってリストに残されました。レビは祭司一族ですが、
確かに救いから洩れていないことを、リストに名を載せられること
で確認されています。古代イスラエルそのままではない、神の新た
な選びがなされたことが確認されます。
そして、問題は各部族のメンバーです。各部族の人数が12,000人
とされています。が、この12,000人は実数ではありません。ここに
も12という数字が入っていることからわかるごとく、宇宙(コスモ
ス)の中に生きる人すべてを含んでいます。「新しい」イスラエルに
おいては、そのメンバーは独りイスラエル民族に限定されないので
す。すべての民族が選びの対象です。
このような「新たな」イスラエル十二部族連合を完成させること
こそ、「神の国(神の支配)が近づいた」という宣言をもって宣教活
動を開始されたイエスのご使命の一つの出発でありました。そして、
その「新たな」イスラエル十二部族の各部族のお世話をすることが、
十二人(十二弟子)の使命でありました。
各部族が救われるために、そのお世話をするために、弟子たちは
何をしなければならないでしょうか。救われるためには、まず裁き
を受けなければなりません。これらの部族は裁きに耐えられるでしょ
うか。耐えられないでしょう。耐えられない場合、どうしたらよい
でしょうか。弟子たちがその裁きを受けることも最悪ありえたでしょ
う。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はな
い。(ヨハネによる福音書15:13)」この十二人(十二弟子)には最悪
殉教が求められたのです。
「彼らを自分のそばにおくため」このお言葉は、イエスの地上の
生涯の間だけについて考えると、誤解するでしょう。「みそばにい
る」これは何にも増して、死んで、天において、天上でイエスと共に
あることを指すのです。十二人(十二弟子)は、この栄光に満ちた、
しかし地上では困難の極みに至る使命を与えられたのであります。
さて、使徒言行録の時代になって、十二人(十二弟子)の一人であ
る、ゼベダイの子にしてヨハネの兄弟ヤコブが、ヘロデの手にかかっ
て剣で刺し殺されました。殉教しました。しかし、この後、十二人
(十二弟子)の欠員補充はされませんでした。ヤコブが立派に使命を
全うしたからであります。
ヨハネの黙示録7:14〜15に「彼らは大きな苦難を通って来た者で、
その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。それゆえ、彼らは神
の玉座の前にいて、昼も夜もその神殿で神に仕える。」とあり、17
節に「玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉
へ導き、神が彼らの目から涙をことごとく、ぬぐわれるからである。」
とあるとおり、立派に使命を全うして、彼(彼ら)は天において、
「イエスのみそばにおかれ」、慰めを受けているのであります。
最後に十二人のリストに参りましょう。
16節〜「シモンにはペトロという名を付けられた。ゼベダイの子
ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、この二人にはボアネルゲス、すなわ
ち『雷の子ら』という名を付けられた。アンデレ、フィリポ、バル
トロマイ、マタイ、トマス、アルファイの子ヤコブ、タダイ、熱心
党のシモン、それに、イスカリオテのユダ、このユダがイエスを裏
切ったのである。」
十二人一人一人についての考察は、その一つ一つが一回の説教で
語りつくされないほど膨大なものとなるに違いありません。ここで
は省略いたしましょう。ただ、十二人全体について言えることは、
イエスが与えたもう一つの使命、宣教と悪霊祓いについては、ペト
ロを除いて、具体的な働きが記録されている者は一人もいないとい
うことであります。彼らはむしろ、「新しい」イスラエルの十二部
族の完成のために、愛の働き、最悪殉教に至る働きをしたのです。
(続く)
(C)2001-2010 MIYAKE, Nobuyuki &
Motosumiyoshi Church All rights reserved.