2010年02月14日
〔マルコによる福音書講解説教〕
第20回「マルコによる福音書3章13〜19節」
(09/09/27)(その2)
(前号より、続く)
13節「イエスが山に登って」
ガリラヤの、カファルナウム近辺での出来事です。ある日、イエ
スは山に登られました。ここで言う「山」は開けた地域を指す、と
いう説を唱える人がいますが、イエスが登られたのは確かに山です。
ところで、日本にも山はたくさんありますが、その多くは神聖な
場所です。そして、しばしば山そのものがご神体であります。たと
えば、富士山の周りにあまたある浅間神社へ行ってみると、鳥居の
向こう側には富士山が美しく見えるようになっておりまして、鳥居
の前に立って、富士山そのものを拝むようになっています。山は聖
なる場所ですから、そこへ入るためには身を清めること、精進潔斎
が必要です。そして、入ると聖なる力を身に帯びます。山で修行を
する修験者は、そうやって験力(げんりき)を身に帯び、里へ降りて
きて「物の怪落とし(もののけおとし)」をするのです。
聖書の世界においても「山」は神聖な場所です。が、日本と違う
ところは、山へ登ることによって人が聖なる者となるのではなく、
山へ登って人は聖なる神と出会うのであります。旧約聖書の時代、
モーセは神に呼ばれてシナイ山へ登りました。そして神と出会い、
十戒を授けられました(出エジプト記19章)。モーセが山を降りてき
た時、モーセの顔が光っていたと記されています(出エジプト記34
章)。しかし、これはモーセが聖なる者となったのではなく、モーセ
が聖なる神の光を映し出したのです。
イエスの場合は、モーセと異なり、ご自身神のみ子、神と等しい
お方、神そのものであられます。山に登られることによって父なる
神に出会われ、それと共に、父なる神と共にあるイエスご自身の神
性が明らかにされるのであります。イエスは山に登られることによっ
て、人としてではなく神としてのお働きをされます。これからここ
でなされることはすべて、イエスの神としてのお働きです。
13節続き「これと思う人を呼び集められると、彼らはそばに集まっ
てきた。」
神としてのイエスは、「これと思う人々」を呼び集められました。
「これと思う人」とは要するに「イエスが望んでいた人々」という
ことです。イエスのご意思、神のご意思によって弟子たちが選ばれ
召されたのです。
「彼らはそばに集まってきた。」そして、召しに応えた弟子たち
がみ許に集まってきました。私たちも、神の、イエスの召しに応え
る者でありたいものです。
14節「そこで、十二人を任命し、使徒と名づけられた。」
そして、召し集められた者たちの中から、イエスは十二人(十二弟
子)を任命されました。これが、本日の物語の核となる部分です。
「使徒と名づけられた。」という一言が添えられています。使徒
とは、イエスの復活以後、イエスの復活を証言する役割を担わされ
た弟子のことです。まだ出番が来ていません。が、14節後半から15
節にかけて、「また派遣して宣教させ、悪霊を追い出すためであっ
た。」と記されています。この務めは、後の使徒としての働きを先
取りするものでもあります。しかし、マルコでは十二人が使徒と呼
ばれて宣教と悪霊を追い出す働きに従事したとの記事は、一箇所し
かありません(6:6b以下)。十二人の「使徒」としての働きは、イエ
スがこの世におられる時は最小限でした。
そうではなくて、彼ら十二人の主たる務めは、「彼らを(イエスの)
そばに置くため(14b)」でした。しかし、この務めは一体何を意味し
ているのでしょうか。また、イエスはなぜこのような務めを十二人
にお与えになられたのでしょうか。
この問いに答えるためには、十二という数がヒントとなります。
そもそも十二という数は、人類にとって区切りのいい数です。そし
て、なぜそうなったかと言えば、それは、一年を十二ヶ月に分ける
という画期的な出来事が始まったゆえです。十二は「全部」を表し
ます。そしてそこから、十二部族連合をして全国民を表すとする考
え方が、多くの国で、エジプトでもローマでも起こってきました。
イスラエルも十二部族連合をして全イスラエルであると考えるよう
になりました。そして、イスラエルの場合には、十二部族連合すな
わち全イスラエルは「神に救われる者の全体」でもあったのです。
とはいえ、現実のイスラエル十二部族連合は、「神に救われた民」
とは程遠い苦難の歴史をたどりました。ヤコブを父とする12人の男
子のうち、レビ(祭司の家)を除く11人と、ヨセフの子マナセとエフ
ライムが十二部族の先祖たちです。カナン定着後、士師時代には外
敵と内部腐敗に悩まされました。十二部族連合はダビデの下に統一
国家を形成しましたが、ソロモン死後の王国分裂が不幸の始まりで
した。エフライムを中心とする北の十部族は神への背信をくりかえ
し、ついに721B.C.アッシリアの下に滅亡し、歴史から消え去ってし
まいました。残ったのは南のユダ族とベニヤミン族の二部族だけで
す。この二部族もバビロン捕囚そして帰還後の諸大国の圧迫と、苦
労に苦労を重ね、イエスの時代に至っています。
(続く)
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