2010年01月03日

〔マルコによる福音書講解説教〕

第16回「マルコによる福音書2章18〜22節」
(09/08/30)(その3)
(前号から続く)

 イエスの十字架上での死は、実は救いの完成、神の国の完成でし
た。だとすると、そこでたとえ断食が行われたとしても、それはも
はや悔い改めの断食ではなく、イエスが荒れ野でなされたような、
モーセがなしたような、救いをいただく備えとしての断食でなけれ
ばなりません。20節で言う断食は悔い改めの断食ではなく、その備
えの断食です。
 その後キリスト教会で行われた断食については、洗礼を受ける前
の断食など、救いをいただく備えとしての断食という、イエスのご
指示は大体は守られてきました。しかし、熱心による行き過ぎ、道
の踏み外しはキリスト教会でも起こります。イエスが捕えられた水
曜日に守る断食ですとか、イエスが陰府に降っておられる三日間の
断食ですとか、イエスのご受難が古い時代への復帰であるがごとく
に、悔い改めの断食と見紛う断食が行われてきたことも確かです。
 プロテスタント教会は、イエスの十字架による罪の贖いの勝利と
いう救いの原点に絶えず立ち返る教会です。イエスがおっしゃられ
たそのとおりに、悔い改めの断食をやめ、まず、救いの喜びをいた
だく者として整えていただきましょう。

(この項、終わり)


第17回「マルコによる福音書2章23〜28節」
(09/09/06)(その1)

 本日は安息日がテーマです。
 安息日はサバトと呼ばれ、一週間の最後の日、私たちの言うとこ
ろの土曜日のことです。
 そして、ユダヤ人がこの日を礼拝する日として大切に守ってきた
ことは、いや今も守っていることは有名な話です。

 吉見祟一さんの著書に『ユダヤ人の祭り』という本があります。
この本の中で吉見さんは、サバトはユダヤ人の最大の祭りであると
して、他のどの祭りよりも先に取り上げておられます。
 なぜ、サバトはユダヤ人の最大の祭りなのか、その理由として吉
見さんは、「ユダヤ人がサバトを守ってきたのではなくて、サバト
がユダヤ人を守ってきた。」と言います。これはどういう意味なの
でしょうか。
 それはイスラエルの歴史の二つの時代の出来事に関係しています。
 一つはバビロン捕囚です。エルサレムの崩壊とともにバビロンに
連れて行かれた人々は、異教、異文化の中で暮らさねばなりません
でした。ユダヤ人としての信仰、文化は失われそうでした。そのよ
うな時彼らは、割礼を受けることと、安息日に礼拝を守ることだけ
は、少なくとも守り続けました。それらを守る事がユダヤ人である
自覚を支え、やがて帰還後、国を再建する力となりました。
 もう一つはギリシア・ローマ時代から現代に至るまでです。故郷
を遠く離れて住むユダヤ人は、いろいろな国でさまざまな迫害に遭
いながら、今度は自覚的に割礼を受け、安息日を守って、自らの民
族的自覚を守り続けてきたのです。
 現在でも、ユダヤ教徒はサバトの日に仕事を休み、晩餐つきの礼
拝を守ります。礼拝はシナゴグ(会堂)ないし家庭で行われます。断
食はこの日には決して行いません。この日は、主の食卓に招かれる
「喜びの日(イザヤ書58:13)」だからです。

 このように本来楽しかるべき安息日(サバト)なのですが、イエス
の時代には必ずしもそうとは言えませんでした。イエスの時代は、
ファリサイ派のラビ、律法学者らによって「安息日にしてはならな
いこと」つまり禁令がたくさんつくられた時代だったからです。
 なぜ禁令がたくさんつくられたか、それは断食が盛んに行われる
ようになったその理由と一緒でした。
 本来、神殿礼拝を守ることと、律法に基づいた生活を守ることと
を車の両輪として信仰生活を守ってきたユダヤ教徒ですが、紀元前
2世紀ころから神殿礼拝を守ることがおぼつかなくなってきました。
その原因の一つは、アンティオコス・エピファネスW世によって神
殿が汚されたことに始まり、神殿でまことの礼拝を守ることがおぼ
つかなくなってきたことです。もう一つはもっと大きな問題で、神
殿に礼拝を守るために行くことが不可能なくらい遠方に住むユダヤ
人が増えたことです。
 いきおい、信仰生活の中心は、どこでもできる、律法を守る生活
に移ることとなりました。その律法の中でも、バビロン捕囚の時の
体験から、安息日律法を守ることが最重点課題となりました。

 安息日律法をきちんと守るためにはどうしたらよいでしょうか。
ここからが律法遵守を推し進めてきたファリサイ派の出番です。安
息日の律法はそもそも十戒の第四戒に由来します(出エジプト記20:
8-10)。安息日に心からなる礼拝を守るために「いかなる仕事もして
はならない(10節)。」これが安息日律法の基本です。
 ファリサイ派の律法学者は、この、してはいけない仕事とは何な
のか、細かい規定をつくって大衆に示さなければなりませんでした。
それでまず第一に、 幕屋(神殿ができる前の礼拝所)の運営にかかわ
る39の仕事を挙げました。次に、その39の仕事にかかわる仕事を挙
げました。

(この項、続く)



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