2008年07月20日

『み名をあがめさせたまえ(問122)
(ハイデルベルク信仰問答講解説教54)

主たる聖書テキスト: 詩編 145編1〜21節
                    ローマの信徒への手紙 11章33〜36節
                    ルカによる福音書 1章46〜55節


 (前略)本日の旧約書、詩編145編もその一つなのですが、神のみ名
をあがめること、すなわち神の名を聖とすること、神に最高の栄誉、
尊敬を帰すことは、旧約の時代にもすでに行われていました。詩編
145編は、古代のキリスト教会では、昼食の前に読まれてきた聖書箇
所なのですが、神を讃美するきっかけとなるのは、食物が与えられ
たことです。(15節)日々の食物が思いもかけず恵まれたのかもしれ
ません。あるいは思いもかけない収穫があったのかもしれません。
普段は当然のようにしていただいていた食物や収穫が、ああ、これ
は本当に神さまが恵んでくださったものだ、と受け止められたので
しょう。主がときに応じて食べ物をくださいます(15節)という感謝
へと変わったのです。感謝の思いは、主のみ名の賛美へと向かいま
す。神の力あるみ業(4-7節)、神の恵み深さ(6-9節)に気づき、神が
王としてこの世を支配していてくださることを心からほめ称えるの
です。

 このように、旧約の時代にも、何かのきっかけで主のみ名があが
められることはあったのですが、総体的にみると、主なる神からあ
れだけたくさんの恵みをいただいていたイスラエルの民さえ、神に
背き、神のみ名を汚すことの方が多かったのです。罪が蔓延してい
たのです。

 このような暗黒の状況の中において、救い主の到来が待ち望まれ
ました。そしてその到来は、イエスの母マリアに真っ先に告げ知ら
されました。マリアは「おめでとう」と言われて、イエスの受胎を
告げ知らされましたが、最初は素直に受け取ることができませんで
した。とにもかくにも事の真実がまだ掴めていなかったのかもしれ
ません。しかし、「お言葉通りこの身になりますように。」とこの
告知を受け止めた時、彼女の信仰は、まだ見ない、しかし自分の身
を通して必ず成し遂げられる救いの成就を見通しました。そしてそ
の救いの成就を見通した時、喜びに満ち溢れ、本日の福音書ルカ
1:47〜のマリアの賛歌をもって、み名を崇め、神に栄光を帰しまし
た。神は、マリアのような、一介の名もない女性を用いて、大きな
救いのみ業をはじめてくださいました。神はそのように憐れみ深い
方であられます。どうか、そのみ名が、力が、万世まで及びますよ
うに、との祈りです。

 この救いの出来事は、マリアに受け止められたとおりに、イエス・
キリストの十字架において現実のものとなりました。パウロは、本
日の使徒書、ローマ11:33以下において、すでに現実となったその出
来事を受け止めて、「ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いこと
か、だれが神の定めを定め尽くし、神の道を理解し尽くせようか。」
と神の力をほめ称え、「栄光が神に永遠にありますように。」と、
神に栄光を帰し、み名を崇めるのです。私たちも、イエス・キリス
トによって成就された神の救いの業に与る者として、み名を崇めよ
うではありませんか。

 しかし、私たちがこの第一の願いを真剣に祈るとき、一つの壁に
ぶつかることとなります。それは、祈る私たち自身が、本当にみ名
が崇められることを願っているかどうかが問われるということです。
み名が崇められるということは、神が第一とされることであり、当
然、神に対する私たちの献身が伴うはずです。しかし、あなたは、
そして私は、この祈りを祈りながら、自分自身については本当に献
身の決意を固めているでしょうか。(中略)キリストは救いの成就の
ために、全存在を投げ打ってくださいました。そして、私たちはそ
の救いを受け容れます、と宣言しました。そして、「み名をあがめ
させたまえ。」と祈っています。しかし、そう祈りながら、実は、
ティーリケのことばによれば「自分のために残しておいて、金輪際、
神に引き渡そうとしない領域を死守している」のではないでしょう
か。(中略)それゆえ、私たちが、「み名をあがめさせたまえ。」と
祈るとき、それは同時に、「父よ、み名を崇めることができずにい
る私をゆるしてください。」という、懺悔と悔い改めの祈りが伴わ
ざるを得ないのです。

 (中略)が、主の祈りは、弟子たちの祈りの到達点ではありません。
そのように祈ることを弟子たちがゆるされた、そのような祈りです。
主の祈り自体、すでに主イエス・キリストの十字架の贖いによるゆ
るしの上に成り立っています。主のみ名を崇めることのできない罪
深い私たちにさえ、主の祈りを祈ることがゆるされています。(後略)

(2008/07/20 三宅宣幸牧師)

(ここに記しましたのは、あくまでも一部です。)

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