2008年07月06日

『主の教えたまいし祈り(問 116〜119)
(ハイデルベルク信仰問答講解説教52)

主たる聖書テキスト: マタイによる福音書 6章5〜15節


 (前略)子なる神イエス・キリストは、父なる神の意向を受け、こ
の世界に派遣され、人となられました。そして、この世界において、
神であられながら、同時に、「真の人」として、数多くの教えを教
え、業をなされ、私たちにわかる形で神のみ業を示されました。数々
のみ業をなさいましたが、最大のお仕事は十字架でした。人類の神
に対する反抗という罪に対して、十字架に架かられることによって、
人として罪の償いを、神として罪の贖いをなされたのです。そして、
その結果人として全き死を遂げられた子なる神キリストを、神はよ
みがえらせ、その体を天にまで引き上げられました。死者のよみが
えりの初穂となられたのです。

 神はあくまでも神であられ、人間とはかけ離れた方ですが、その
神があえて「神が人となられる」という信じられないみ業をなさり、
罪の贖い、そして体のよみがえりという恵みを与えてくださったと
いうのが、キリスト教が、そして聖書が伝えるメッセージの中心で
す。

 このキリスト教において、実は、この地上に遣わされた子なる神
が、特に人として、父なる神と交流を図られた手段、それが祈りだっ
たのです。その祈りの一つであり、典型がゲッセマネの祈りです。
(マタイ26:36〜、マルコ14:32〜)子なる神としてこの地上に遣わさ
れたイエス・キリストの最大のお仕事、十字架を前にして、人とし
てのイエス・キリストはもう一度神の意向を伺うのです。人と神の
間にはやはり距離があるのです。「できることなら、この杯をわた
しから過ぎ去らせてください。(マタイ)」「この杯をわたしから取
り除けてください。(マルコ)」ここには、人としての立場の正直な
告白があるのではないでしょうか。しかし、それにもかかわらず、
いや、人の罪を乗り越えるためにこそ、「しかし、わたしの願いか
らではなく、御心のままになさってください。(マタイ)」と、イエ
ス・キリストの父なる神への絶対の従順が表明され、つまり、父な
る神と、子なる神とが一つであることが確認され、そしてその結果、
十字架の業は成就したのです。

 このように、子なる神イエス・キリストは、人として、人の立場
にあられながら、祈りにおいて父なる神と一つになられ、そして、
み業の働きのためにご自身を献げらました。このキリストのみ業、
救いのみ業に与って、救いに入れられ、しかもその恵みを受け止め
たクリスチャンは、新たにキリストが生きた真の人としての歩みを
歩むことがゆるされています。それでも、人としての道には、迷い、
悩み、罪があります。しかし、キリストがゲツセマネで祈られたよ
うに、クリスチャンには、祈りにおいて神と一つとなる道が備えら
れているから安心です。

 そのクリスチャンのためにキリストが教えられた祈りが、主の祈
りです。主の祈りは、マタイ6:9〜、ルカ11:2-4に記されていますが、
マタイにおいては山上の説教の一部として、ルカにおいては、弟子
の一人が「先生、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちに
も祈りを教えてください。」とお願いした、その願いに答えられた
祈りとされています。マタイの山上の説教はそもそも弟子たちだけ
に語られたものですので、主の祈りは、弟子たちのために教えられ
た祈りだったのです。

 この祈りの秘儀ともいえる部分は、呼びかけにあります。弟子た
ちだけに、クリスチャンだけに、神を「父よ」と呼ぶことがゆるさ
れているのです。が、日本語の「父よ」ということばは、正しい翻
訳ではあるのですが、厳父を想像させます。厳父だとすると、神を
父と呼ぶことなどとても許されない普通の一神教の神と人との関係
と大差ないのではないでしょうか。

 イエスは、ギリシャ語以前に、日常生活ではアラム語を用いてお
られました。イエスご自身は、「父よ」という意味ですが、父なる
神のことを「アッバ」と呼んでおられたことは確実です。アッバと
いうことばは、赤ん坊が「アッバッバ」と、ことばにならないこと
ばを発して信頼する人を呼ぶことばから発し、日本語でニュアンス
の近いことばをあてれば「パパ」「おとうちゃん」です。神を「父」
と呼びかけることはもちろん、このような慣れ親しんだ呼びかけで
呼ばれたお方は、イエス・キリストが最初でした。イエスは父なる
神との間に何のわだかまりもない「親子関係」を築いておられたの
です。イエスが、弟子たちに、クリスチャンに、「父なる神と、そ
う呼んでいいよ。」と招かれたことは、クリスチャンはそのように
神と一つとなれるとの招きなのです。(後略)

(2008/07/06 三宅宣幸牧師)

(ここに記しましたのは、あくまでも一部です。)


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