2008年05月18日

『母の教えをおろそかにするな

主たる聖書テキスト: 箴言 1章7〜10節
          マルコによる福音書 3章31〜35節


 (前略)キリストの母というと、王の母のように子の地位を利用し
て権力を振るう、そういう人を想像されるかもしれません。事実、
旧約聖書の中にも、王の妻、二人の王の母として絶大な権力をほし
いままにしたイゼベルという女性が登場します。しかし、キリスト
の母はそうではありませんでした、まず、キリストを身ごもった時
からして苦しみでした。キリストを身ごもったのは婚約中のことで
したので、その頃の律法の適用状況からすると、死刑にされてもお
かしくない出来事でした。しかし、マリアはこの出来事を受け止め、
その重荷に耐えました。キリスト誕生の時も、今はクリスマスとし
て、祝われていますが、実はひどいものでした。ローマの皇帝が命
令した人口調査のおかげで、身重の体で150キロもの道のりを歩いて
本籍地に帰らねばなりませんでした。そして、到着したところで産
気づくのですが、本籍地だというだけで親戚がいるでもなし、宿も
いっぱいということで、何と家畜の住まいである洞窟での出産でし
た。でも、彼女は不平を言うこともなく、これらの出来事を心に納
めました。極めつけの苦しみは、キリストの十字架刑の時です。十
字架刑というのは、生きている人間を釘付けにして晒すというとん
でもない刑です。自分の腹を痛めて産んだ子がこんな刑に処せられ
るなんて、マリアはどんな思いだったでしょうか。ところが、男の
弟子たちが蜘蛛の子を散らすようにして逃げ出してしまって、誰一
人この刑に立ち会わなかったのに対して、女性の弟子たち、そして
ヨハネによる福音書に拠れば、母マリアも十字架の傍に立ち、十字
架上のイエスを最後まで見届けたのです。この時のマリアの苦しみ
は、私たちの想像を絶するものです。しかし、この時から、マリア
はすべての人の母、つまり、すべての母親が自分の子の苦しみを自
分の背に引き受けるように、マリアはすべての人の苦しみを背に負
うように、そういう意味ですべての人の母となるように、キリスト
に要求されたと遠藤周作さんは言うのです。

 一口に母性といっても、ヘロディアの母性からマリアの母性まで、
これだけ幅があります。そして遠藤さんによれば、一人一人の女性
は、マリアからヘロディアまでのどこかにいるのです。遠藤さんは
そこまでしか言っていないのですが、私は、遠藤さんの言外の言と
して、その人なりにであっていいのだが、皆、ヘロディアの方にで
はなく、マリアの方に近づいていってほしい、そんな思いが伝わっ
てくるような気がするのですが、どうでしょうか。

 が、プロテスタント教会の立場からすると、遠藤さんのマリア観
は贔屓目に過ぎる気がします。マリアは苦しみに直面しなければな
らなかったばかりでなく、自分の罪とも戦わねばなりませんでした。
その点では、ヘロディアと立場は同じなのではないでしょうか。マ
リアには、本日の福音書マルコ3:31以下に見られるようなエピソー
ドもあります。イエス・キリストの活動が見かけでは大成功を収め、
人々がイエスの後を追いまわしていた頃、イエスの母(マリア)と兄
弟が、そんなイエスのところへ会いに来ました。ところが、案の定、
大勢の人が取り囲んでいて会えなかったのです。そこで、イエスの
母と兄弟は、人を遣って、イエスを呼ばせました。この時のイエス
の母、兄弟たちの気持ち、私たちは手にとるようにわかります。そ
もそも妊娠のときから本当に苦労して育てたイエスです。それがこ
んなに「立派」になって、子の出世は母の誇りです。当然、「イエス
の母」という特別待遇を受けるべきです。子育ての苦労が大きけれ
ば大きいほど、自然と大きな見返りを求めてしまうのが、人情とい
うものではないでしょうか。が、ここでマリアが発揮した母性は、
我が子を自分の思うがままにして当然と考える母性であり、それは
ヘロディアの母性と全く同じだったのではないでしょうか。それゆ
え、イエスは母を拒絶されました。

 母性そのものは、「産めよ、増えよ、地に満ちよ」と祝福して人
間を造られた神から与えられた賜物です。しかし、人が神に背く罪
が人に入り込んで以来、この母性も罪の道具、神をではなく、自分
の欲を満たす手段となってしまいました。母性が整えられるために
は、罪の贖いが必要です。キリストはその罪の贖いのために死んで
くださいました。マリアの偉いところは、彼女だけがよい母性を与
えられたのではなく、このキリストの罪の贖いを受け容れたところ
にあります。マリアが後半生において、多くの人の苦しみを担うこ
とができたとするなら、それはキリストの贖いの恵みによるのです。
(後略)

(2008/05/18 三宅宣幸牧師)

※このページに関するご意見・ご質問は三宅牧師までお寄せ下さい。miyake@aksnet.ne.jp


(C)2001-2008 MIYAKE, Nobuyuki & Motosumiyoshi Church All rights reserved.