2008年03月30日

『生まれ変わらせられた私たち(問 86〜87)
(ハイデルベルク信仰問答講解説教40)

主たる聖書テキスト: エフェソの信徒への手紙 5章1〜20節


 プロテスタント教会の信徒にとって、キリストに倣うとは、キリ
ストの真似をして、救いに至ろうとすることではなく、救ってくだ
さったキリストに感謝し、自らをすべてキリストにお献げし、従順
に従うこと、これに尽きます。それが、自ら生まれ変わったのでは
なく、生まれ変わらせられた私たちの生き方です。

 まず第一にキリストに捉えられた信徒の義務は、これはユダヤ人
信徒も異邦人信徒も区別なく、礼拝を献げることです。そして、ま
ことの礼拝とは、ローマ12:1〜にあるごとく、自分自身を、生きた
聖なる献げものとして献げることです。私たちは、礼拝において、
キリストへの全面服従を誓うのです。なぜなら、キリストご自身が
全身、全霊を献げて贖いの業を全うされ、私たちはその贖いによっ
て救われたのですから‥

 次に、私たちがその献身をどういう形で表わしていくか、と言え
ば、第一は献金です。私たちが「献身のしるしです。」と祈って献
金を献げるとおり、献金は、キリストへの全面服従、感謝の表明で
あるとともに、キリストのご命令に従ってなされる善き業そのもの
の第一でもあります。

 さらに、キリストに献身すれば、それは当然に善い業となって表
われるはずなのですが、昔から律法を与えられ、十戒に従って歩む
ことに慣れているユダヤ人と違って、異邦人である私たちは、神に
喜ばれる善い業をなすことができるかどうか、不安です。ところが、
できるのです。それは、律法や十戒にはない「異教徒の隣人に黙っ
て仕える」ということです。さらに、ハイデルベルク信仰問答問86
は、その奉仕について「わたしたちの敬虔な歩みによって、わたし
たちの隣人をもキリストに導くためです。」と言っています。異教
徒の隣人への奉仕は、キリストの命じられた業として完結するばか
りではありません。奉仕する相手をキリストへ導く効果さえ、備え
られています。さらにペトロ一2:5では、異邦人クリスチャンが異教
徒に仕える業を「聖なる祭司の業」とまで呼んでいます。異邦人ク
リスチャンの善き業はとりなしの効果さえも生むのです。

 異邦人クリスチャン、それは私たちのことです。たしかに、キリ
ストの十字架と復活によって救われました。が、一たび自分の周り
を見回してみると孤独です。迫害されることもあるかもしれません。
たとえなかったとしても、家庭の中でクリスチャンは自分だけ、友
人の中でも、学校でも、職場でも自分だけがクリスチャンという状
況に必ず直面します。しかし、その時に孤立するのでもなく、埋没
するのでもなく、周囲と敵対するのでもなく、黙って仕えるならば、
それは結果的にキリストを証することとなり、クリスチャンでない
方のための執り成しの業をなすことにさえなる、というのが、ハイ
デルベルク信仰問答、そしてペトロの手紙一が私たちに伝えるとこ
ろです。私たちにとって大きな励ましの言葉ではないでしょうか。

 しかし一方、問87の問答で大変厳しいことが言われているように、
特に異邦人クリスチャンは、期待も大きい分、責任も重いのです。
証しの場、執り成しの場が与えられているにもかかわらず、クリス
チャンという名前だけで、まことの礼拝を献げることもなく、よっ
て献身の思いもなく、ゆえに、善い業も執り成しの業も、しようと
さえせず、逆に、悪しき業、人を傷つけたり、蹴落としたりする業
を行っていたとしたら、それは、その人個人が「悪い人だ」との評
価を受けるに止まらず、キリストを貶めることになるのです。言う
までもないことです。

 もしも、不幸にして、クリスチャン仲間がこのような不信仰状態
に陥っているのがわかったなら、教会の仲間は注意しないといけま
せん。放置すると、その人自身の滅びに止まりません。キリストを
貶めること、さらに、教会の滅びにつながります。

 そして、もしも自分自身が少しでもそのような不信仰状態に陥っ
ていることに気づいたならば、「良い木は良い実を結び、悪い木は悪
い実を結ぶ」のですから、表面ではなく、自分の根本、信仰自体が栄
養不良になっているはずです。もう一度原点に戻って、主イエスの
十字架の前に立ちましょう。

 私たち一人一人は、本当に弱い者ではありますが、異邦人クリス
チャンとして、大きな恵みと、そして大きな責任とを与えられてい
ます。私たちが、地の塩、世の光としての働きを、少しでも果たす
ことができるよう、主イエスの救いを受け止め、献身の生涯を歩ん
でいきたいものです。

(2008/03/30 三宅宣幸牧師)

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