2008年02月17日

『幼児洗礼(問72〜74)
(ハイデルベルク信仰問答講解説教35)

主たる聖書テキスト: 創世記 17章9〜14節
          マタイによる福音書 19章13〜15節

 洗礼式がなかったころの人々が救われなかったか、というとそう
ではありません。キリスト以前ですので未だ約束だけでしたが、神
の、罪の赦し、救いの約束は確かに存在していました。そればかり
ではありません。神はその救いの約束を、割礼というしるしをもっ
て、神が特別にお選びになられた民、イスラエルに与えていて下さ
いました。

 割礼は、本日の旧約書創世記17章にあるごとく、アブラハムの子
孫、イスラエルの男子が必ず受けたしるしです。このしるしは、そ
の割礼を受けた人がイスラエル民族の一員であるという、人間的な
しるしであるに止まらず、神との契約のしるし、神に祝福された民、
すなわち救われた民の一員であるしるしです。

 ところで、救われるためには、罪の赦しが前提となります。それ
ゆえ、聖書に明示されてはいませんが、割礼には罪の赦しの意味も
含まれると考えられます。さらに、割礼は、申命記10:16で「心に割
礼を受ける」べきことを勧められているごとく、肉に死ぬことも指
し示しています。こうして、割礼はイスラエル民族が救いに入れら
れるしるしとなります。割礼と洗礼は、実は、同じ神の救いの約束
と奥義を表わす二つのしるしです。そして、割礼が選びの民イスラ
エルの一員として生まれた子どもすべてに与えられるしるしである
ことを知るとき、クリスチャン家族の一員として、教会の共同体の
中に生まれてきた子どもたちへの洗礼、幼児洗礼の道が開けてくる
のではないでしょうか。

 幼児洗礼は、A.D.60年ころからキリスト教会で行われてきました。
親の信仰告白を支えとして幼児に授けられる洗礼です。256年にカル
タゴ会議で公式に制定されて以来、カトリック教会では制度として
今日まで行われつづけています。プロテスタントでも、ルター派、
カルヴァン派を始め、多くの教会で大切に守られてきました。とこ
ろが、聖書に、イエス・キリストが、あるいは使徒たちが、幼児洗
礼を授けたという記述は一つもないのです。が、幼児洗礼を受け止
める教会では、本日の福音書マタイ18:13-15、及び使徒言行録16:15
を聖書的根拠として、幼児洗礼を実施してきました。マタイ18:13以
下では、イエスは子どもたちの頭に手を置いて、祝福されています。
しかも、祝福にあたって「天の国はこのような者たちのものである。」
と言われました。この時、イエスは洗礼式という形はとられません
でしたが、頭に手を置かれることにより。天国への保証、罪の赦し
と新生への保証、つまり洗礼式を通して与えられるのと同じ保証を
子どもたちにお与えになられました。さらに使徒言行録16:15では、
使徒パウロはフィリピの婦人リディアとその家族とに洗礼を授けて
います。リディアの家族がどのような家族構成であったのかはわか
りません。しかし、当時の用語法に従えば、「家族」と言ったとき、
当然に乳児・幼児も含まれました。もしリディアの家に乳児・幼児
がいたとしたら、その乳児・幼児にも洗礼が授けられていたはずで
す。リディアの信仰を支えとして、乳児・幼児への洗礼の道が開か
れていたのです。以上の根拠により、幼児洗礼は、主のみ心に適う
こと、主がそのようになせと指し示されたこととして多くの教会で
守られてきました。

 しかし、洗礼式に欠かすことのできない信仰告白が、本人の信仰
告白がない幼児洗礼は、洗礼式として成り立つのか、という疑問が
提起され、古代においてはテルトゥリアヌス、宗教改革時には再洗
礼派が幼児洗礼を否定し、その流れは今日のバプテスト派に受け継
がれています。しかし、カルヴァンは、親がクリスチャンであって、
生まれながらに教会の共同体の交わりの中に入れられている子ども
たちが、たとえ自分の口で公に信仰を告白することはできなくとも、
救いの保証としてのしるしをいただくことに何ら問題はないとして、
幼児洗礼を擁護しました。(「綱要」W.16)ハイデルベルク信仰問答
問74の答えは、カルヴァンの議論を要約したものです。幼児洗礼否
定論者は、子どもたちが悔い改めと信仰に至る可能性を否定します。
悔い改めと信仰に至ることは大人たちにおいてもなかなか困難なこ
とです。子どもたちもそうであるかもしれません。しかし、子ども
たちについては、「将来の悔い改めと信仰とのためにバプテスマを
授けられる。」とカルヴァンは宣言します。キリストの贖いの恵み
は、「わたしたちがまだ罪人であったとき」(ローマ5:8)に、神の側
から一方的に与えられました。だとすると、幼児洗礼はその恵みを
受け取るもっともよき方法でさえあるのではないでしょうか。

(2008/02/17 三宅宣幸牧師)

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