2008年02月10日

『洗礼とは(問69〜71)
(ハイデルベルク信仰問答講解説教34)

主たる聖書テキスト: コロサイの信徒への手紙 2章11〜15節
          ヨハネによる福音書 3章5〜8節

 洗礼のしるしは水です。滴礼の場合より顕著ですが、水が受洗志
願者にふりかけられます。水は、エフェソ5:26でも「言葉を伴う水
の洗いによって、教会を清めて聖なるものとし」と記されているよ
うに、水自体、「清める」ということのしるしでした。この水を用
いて、バプテスマ(洗礼)は、キリストによる血の洗いを象徴します。
(問69)しかも、み言葉を伴って、キリストの十字架の死による血の
洗いを意味します。洗礼式は、十字架において流されたキリストの
血が振り掛けられる儀式です。

 それにしても、キリストが十字架上で流された血をふりそそぐこ
とが、なぜ洗いになるのでしょうか。それは、キリストの十字架上
での死が、私たちの罪の罰を背負っての贖いの死だったからです。
キリストがかわりに血を流したから、この血のゆえに、君たちは罪
をもう追及されることはない、そういう意味での血、犠牲としての
血、そして罪の赦しとしての血です。

 キリストは、全人類の罪のために、ご自身に全く罪がないにもか
かわらず、血を流されました。完全な犠牲の死です。その流された
血によって、全人類が罪赦され、生きる道が開かれました。すべて
の人に及ぶ血の犠牲、それを私のものとして受け止めるのが洗礼式
です。

 洗礼を受けた結果、受けた者はどうなるのでしょうか。洗礼を受
けて、キリストの血をふりかけられた者は、キリストと共に、はじ
めて自分の罪に死ぬことができました。私たち各自が負っている罪
はあまりに重いのです。その罪の罰を自分で負いきれない程です。
もし自分で負うとしたら、何べん死んでも死に切れません。そんな
重荷をみ子イエス・キリストがすべて負ってくださいました。とい
うことは、私たちもはじめて自分の罪に死ぬことが許されたとうこ
とです。そして、本日の使徒書コロサイ2:12〜に示されているごと
く、血の注ぎを受けて、罪に死ぬことができて、はじめて、私たち
に、新たに復活の命、永遠の命に生きる道が開かれました。(ヨハネ
3:5も参照)過去が清算されて、初めて再生できたのです。

 しかし、まだ道は開かれただけです。洗礼を受けた後も、罪との
戦いは続きます。しかし、洗礼を受けた者は、贖いの恵みを受けた
保証をいただいているのですから、絶えず洗礼に立ち返ればいいの
です。私たちは洗礼を受けたことによってしっかりと神と結び合わ
され、つまり神の子とされ、それゆえ教会の一員となるのです。

 さて、それでは、人がこのような洗礼の恵みを自分も受けたい、
と願ったとして、どのように受けたらいいのでしょうか。主イエス
が「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。
彼らに父と子と聖霊の名によってバプテスマを授け、あなたがたに
命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」(マタイ28:19〜
20)と使徒たちにお命じになって以降は、福音宣教と聖礼典の執行は、
使徒の職務を継承する者、プロテスタント教会では牧師に委ねられ
ました。ですから牧師から、牧師のみから受洗すればいいのです。

 しかし、カルヴァンは、み言葉を解釈の上、洗礼は「その創始者
ご自身の手から受けるようにして受けなければいけない。」(「綱要」
W.15.14)と言います。その通りです。洗礼は、神のみ子イエス・キ
リストの血による罪の赦しと再生の恵みをいただく式ですから、本
当の主宰者は神であり、牧師は手先に過ぎません。ここから次のよ
うな効果が生まれます。カルヴァンはさらに言います。「この聖礼
典を授ける人間の価値如何によっては、これに何も付け加えられず、
何も差し引かれない。」(W.15.16)なぜなら、洗礼は「父と、子と、
聖霊との名によって」(マタイ18:19)授けられるものであって、授洗
者の権威によって授けられるものではないからです。宗教改革の時
代、教派が互に分裂していく中で、かつてカトリック教会で受けた
洗礼が有効かどうかは大問題でした。カルヴァンは、「もう一度洗礼
を受けよ」とする再洗礼派の主張を「洗礼は、神から恵みをいただく
しるし」として断固退け、正しい教えを守ったのでした。

 洗礼を受けてしまった後、洗礼を受けたとは思えない罪の自分を
発見して後悔することもあるかもしれません。しかし、洗礼の本当
の主宰者が神であることを知れば、この問題も解決します。キリス
トの贖いは完璧で一回限りであるごとく、洗礼も一回限りです。洗
礼を受けた後、罪を犯してしまったとしても洗礼は無効とはなりま
せん。罪に気づいたとき、悔いて自分が受けた洗礼に立ち返ること
が求められます。

(2008/02/10 三宅宣幸牧師)

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