2008年01月27日

『善い行いについて(問63〜64)
(ハイデルベルク信仰問答講解説教32)

主たる聖書テキスト: ヘブライ人への手紙 10章19〜25節
                    ルカによる福音書 6章43〜45節

 「信仰のみ」の教理は、業はどうでもいいということを言ってい
るのではありません。信仰のみによって救われるのです。ですから、
結果として善い業が当然生じてくるはずです。本日の福音書ルカ6:43
以下で言われているとおり、良い木は良い実を結ぶはずです。それ
を、クリスチャンでありながら、業はどうでもよいと主張したり、
平気で悪を行ったりするとしたら、それはまずその人の信仰そのも
のが疑われますが、と同時に、一方的に恵みを与えてくださる神に
対する冒瀆にさえなるのではないでしょうか。クリスチャンにおい
ては、神の前に善い業をなすことが求められています。その深い理
由について、学びましょう。

 さて、人間の理性の力でどこまで善い行いが可能か、それを明ら
かにしたのが哲学者のカントです。カント自身は敬虔なプロテスタ
ントの信仰をもっていましたが、彼の学問はあくまでも人間に限定
され、人間のもつ能力の可能性とそして限界とを見極めるものでし
た。人間はだれでも理性という能力を持っています。理性があるゆ
えに、人間は認識をするばかりでなく、物事の善悪を判断し、善な
ることを行うよう意志することも出来ます。(理性のこの働きを実
践理性と呼びます。)たとえば目の前に人が倒れていたとします。
あなたがそこを通りかかったとして、その人を助け起こして、必要
ならば救急車を呼ぶところまですることも出来るし、あるいは知ら
ん顔をして通り過ぎることも出来ます。この時実践理性は、「なす
べきがゆえになせ」つまり、無条件で助けるべきだ、助けなさいと
自分自身に命令します。その人が、面倒くさいといった自分自身の
欲望に打ち勝って実際に助けた時、カントによれば、この時その人
は本当の善なる業を行ったのであり、人間として最高の自由を行使
したのです。(そうでなかった場合、人間らしさを行使できなかった
こととなります。)ところが、倒れていた人が知り合い、それも職
場の上司だったりした場合、覚え目出度きを得ようとか、あるいは
報復を恐れるとかいった計算が働いて、助けた場合、カントによれ
ば、それは本当の善なる業ではありません。なぜなら、それは実践
理性の命令によってではなく、自己保身の欲望から出ているからで
す。こうして、人が功績を求めてでなく、自己の欲望に打ち克って、
純粋に実践理性の指示に従い、「なすべがゆえになす」として愛の
業を行った時、そこには、相手や状況を選ばない隣人愛がなされる
目的の王国が実現するのです。

 しかし、人間には可能性と同時に限界もあることをカントは見逃
しませんでした。最大の問題は、実践理性の理性の命令に、人はだ
れでも、いつでも、どこでも従うことが出来るのか、という問題で
す。最初から自己の欲望に従って生きるだけの人は問題外として、
仮にある人が実践理性の命令に従って善い業を行おうと意志した場
合でも、欲望のない人はいませんから、善い業に至るまでには、欲
望との戦い、良心の葛藤を経なければなりません。そして、しばし
ばその戦いに負けるのです。さらに、良心の葛藤に打ち克って善な
る業を実行したとしても、それは欲望に打ち克つという形をとりま
すから、楽しくありません。人間として最大の自由を行使しはしま
したが、そこには幸福はなく、欲望を押えたが故の苦痛が伴うので
す。ここが人間の限界です。カントは実践理性の命令に従って善い
業を行うという生き方を突きつめていくと、善い業を行うことが苦
痛ではなく、そのまま幸福となる世界が求められる、としました。
それは、人間の世界ではありえませんし、人間の力によって実現で
きるものでもありません。神によって復活(カントの言葉によれば霊
魂不滅)が保証されてはじめて実現される世界です。

 そもそも聖書のメッセージによれば、人は神の形に造られたので
すから、神に似た者、すなわち善い業をなすべく期待されたのです。
そしてエデンの園で「あなたはどの木からでも心のままにとって食
べてよろしい」(創世記2:16協会訳)と言われていたように、本来は
善い業をなすことと欲望との間に何の葛藤もありませんでした。が、
欲望を己がままにする罪ゆえ、善き業をなすことと欲望とは対立す
るものとなり、人は罪の支配する欲望に負けつづけることとなった
のです。その人間に救いの手が差し伸べられたのがキリストの受肉
です。キリストの罪の贖いによって、善なる意志と欲望とが齟齬を
きたさない「新しい生きた道」(ヘブライ10:20)が開かれました。イ
エスの救いに与る信仰をもって善い業に励みましょう。

(2008/01/27 三宅宣幸牧師)

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