2008年01月06日

『身体のよみがえり
(ハイデルベルク信仰問答講解説教29)

主たる聖書テキスト: コリントの信徒への手紙一 15章42〜49節


 新約聖書の時代であればギリシャの人々が、現代の日本であれば
日本人が、初めて聖書に触れたとき、それぞれの文化背景をもって
聖書を理解しようとすることでしょう。この二つの文化背景におい
ては、魂は不滅です。そこで、キリスト教においてもそうだろうと
いうことで、死んだ後、肉体は滅びるが、魂は天国に引き上げられ
てイエス様と一緒にいる、と理解する人が多いのではないでしょう
か。しかし、この考え方は本当に聖書に基づいた正しい考え方なの
でしょうか。

 さて、私たちが聖書を読んでいて気づくことの一つは、宗教書で
ありながら、天国、地獄の描写ですとか、あるいは既に死んだ者が
出てくる場面が極めて少ないということです。もちろん例外はあり
ますが、あくまでも例外であって、聖書の考え方によれば、そもそ
も神のみ業は、神がお造りになられたこの世界の中で働くのです。
よって、この世界に神の国、神の支配が行き届くことこそ、神と人
との共通目標でした。ということは、この世にある限りが「いのち」
であって、死んだら肉体も魂も共に滅びるということを意味します。

 キリスト教において、死が何であるかをまざまざと見せつけたの
が、イエスの十字架の死でした。イエスは神の子であったがゆえに、
並みの人間以上に人間らしい生と死を全うされたまことの人間でし
た。十字架上で苦しまれなかったでしょうか。そんなことはありま
せん。神の子だから、肉体は苦しまれたが、魂は苦しまれなかった
でしょうか。そんなこともありません。肉体において苦しまれたば
かりでなく、魂においても苦しまれました。そして本当に息を引き
取られました。魂だけは生き残ったでしょうか。そんなこともあり
ません。「陰府に降り」、つまり、魂も死んで、死者の世界に入ら
れました。イエス・キリストが死なれた死が本当の死です。私たち
においても、肉体も魂も苦しみぬいて死んでいく、これが死です。
聖書は、死を正しく、厳しく見つめています。ゆえに、キリストの
昇天も、魂が肉体から離れて、天にふわふわと昇って行かれたので
はありません。復活の体が引き上げられたのです。

 このように、聖書の世界では、死後の世界を想定することはほと
んどなかったのですが、人が、世界の終わり、終わりの日を意識す
るようになって少し変わってきました。世界の終わりは神が一切の
ことに決着をつけられる日です。悪人(神に背く罪人)は有罪判決を
受けて、永遠の滅びに至ります。しかし、正しい者はどうなるので
しょうか。やはり滅びるのでしょうか。いや、新たな生を与えられ
て、神と共に永遠の生を生きるはずです。これが復活です。本日の
福音書、ヨハネ11章で、マルタがイエスに「終わりの日の復活の時
に復活することは存じております。」と申し上げたのは、彼女がそ
の復活信仰をもっていたからです。

 しかし、イエスの時代、それでも復活を否定する人は多くいまし
た。サドカイ派とサマリア人です。彼らは「神の造った世界は、一
つである。」と言って、別の世界も、将来の世界も一切考えようと
しませんでした。ゆえに、サドカイ派はイエスの復活を執拗に否定
しました。弟子たちによる復活の証言を否定し、「どうしてキリス
トは祭司たちに対し、また全エルサレムに対し自分の生きているこ
とを証明しなかったのであろうか。」などと問いました。が、この
問い自体が彼らの考えの限界を表わしています。彼らは死者の蘇生
(息のふきかえし)しか考えられないのです。イエスが蘇生したかど
うかが議論されていて、終わりの日の復活については、歯牙にもか
けないのです。

 イエスは蘇生したのではなくて、復活しました。終わりの日の復
活は、神の前に正しい、義なる人にのみ許されることです。そして
すべての人は罪人であるからして、神の前に義とされる人は一人も
いません。この道は示されてはいるが、実は閉ざされた道でした。
が、イエスはその道を開きました。神の子として、人として、完全
に生き死ぬことにより、神に義とされる第一号となりました。ゆえ
に、キリストは真っ先に復活の恵みに与りました。復活の体は永遠
の体です。私たちには本来見ることを許されないものです。それゆ
え、特定の人にだけ、しかも心を開いた人にだけしか示されないの
です。さらに、神の子キリストの十字架死による贖いの力は全人類
に及びましたから、私たちにも終わりの日に復活する道が開かれま
した。キリストは私たちの復活の初穂ともなられました。

 死は私たちの前に立ちはだかっています。しかし、イエスを信じ
る者には復活という最終目標が開かれ、与えられています。目標目
指して励みましょう。

(2008/01/06 三宅宣幸牧師)

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