『選ばれた民』
(ハイデルベルク信仰問答講解説教26)
主たる聖書テキスト: エフェソの信徒への手紙 1章3〜14節
今日は予定説に触れていきましょう。そもそも予定説とは何か、
と言えば、「万人は平等の状態に創造されたのではなく、あるもの
は永遠の生命に、あるものは永遠の断罪にあらかじめ定められてい
る」(カルヴァン)とする考え方です。なぜ宗教改革において予定説
が強く唱えられたかと言えば、それは中世カトリック教会の考え方
に対する反動です。カトリック教会は、罪を赦す、裁く権限が教会
に与えられたと考え、特に洗礼を受けた後に犯した罪についてこの
権限を適用します。信徒がその罪を痛悔し、司祭の前で告白すれば、
司祭はその程度によって償いを課した上で、赦罪を与える権限を与
えられているというわけです。さらにこれに加えて免償がどんどん
拡大し、こうして結果として、自力での罪の償いを認める方向にど
んどん堕していきました。宗教改革は、この罪を赦したり、裁いた
りする権限を一切神にお返ししました。ということは、救い、裁き
は100パーセント神のみ心によることとなります。予定説の登場です。
カルヴァンはこの予定説を極限まで突きつめました。神が救うと決
めた人間は、その人間がどんな悪人であっても決して救いからもれ
ることはありません。一方、神が、滅びに至ると決めた人間は、ど
んな善人であっても結局は滅びに至るのです。人は神の御心に従う
しかありません、と。
人がこの予定説を受け止めるとき、どのような反応を示すでしょ
うか。畏れをもって神の予定を受け止めるばかりではありません。
傲慢やあきらめを生む可能性もあります。また、自分が救われてい
るかどうかの確信がもてない不安を生む可能性もあります。マック
ス・ウェーバーは、この不安が、改革派地域における資本主義発達
の原動力になったことを「プロテスタンティズムの倫理と資本主義
の精神」の中で見事に分析して見せています。私たちは、予定説を、
いや、神の予定をどのように受け止めたらよいのでしょうか。その
ためには聖書に立ち返らねばなりません。
さて、カルヴァンが予定説の根拠として挙げている一つが本日の
使徒書エフェソの信徒への手紙1章です。この手紙は、パウロないし
その弟子が教会に宛てた励ましの手紙です。教会が「聖なる者」と
しての歩みを守り通すよう強く勧められています。が、教会がどう
して聖なる者と言えるのか、その選びの教理が1章に述べられていま
す。それは、7節にあるように、「御子において、その血によって贖
われ、罪を赦された」からです。キリストの贖いの業のおかげで聖
なる者とされたのです。つまり、教会員の功績によってではなく、
100パーセント神の恩恵によって聖なる者とされました。ところが神
の恩恵は100パーセントに止まるものではありませんでした。神の恩
恵は、たまたま見つけた罪人の罪を償ってチャラにしたに止まりま
せんで、教会のメンバーを「天地創造の前から」(4節)「神の子にし
ようと」(5節)あらかじめお選びになっていたのです。これは何とも
大胆な教理です。しかし、エフェソの信徒への手紙は大胆にも「そ
うだ」と宣言しています。もっともエフェソでは、「滅びの予定」
については、あるいはそれを匂わせることには一切ふれていません。
私たちにとっては、救いの予定を受け止めた後に、その結果として
類推することが赦されるのみです。
しかし、問題はエフェソの著者が何を根拠に「選びの教理」を述べ
ているか、です。事は天地創造の前です。見てきたのでしょうか。
見てきたわけがありません。幻を見たのでしょうか。それならそう
記すはずです。それは、キリストにおいて、なのです。そして、そ
れを聖霊によって保証されて、なのです。著者も罪の中に苦しんで
いた罪人の一人です。しかし、キリストの贖いによって救われまし
た。そのことは聖霊が保証しています。そして救われたその時に、
「神は、わたしを天地創造の前から選び分かっていて下さったのだ」
という信仰の告白が告白されたということなのです。私たちが識る
のは、キリストと聖霊のみです。そこで与えられた告白なのです。
カルヴァン自身にとってはキリストによるあふれるばかりの救いは
大前提だったはずですが、予定説は、キリストの救いなしには語れ
ません。
ハイデルベルク信仰問答は、エフェソの信徒への手紙を決して外
れていません。教会が聖とされるのは、神の御子の業に拠ります。
私たちが自分で努力してその地位を得たのでないことはもちろん、
キリスト抜きに救いの歴史をすっ飛ばして神から与えられた特権で
もありません。み言葉とみ霊の導きのもとにあって初めて成り立つ
地位です。導きの下、感謝をもって受け止めて参りましょう。
(2007/12/16 三宅宣幸牧師)
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