『永遠の助け』
(ハイデルベルク信仰問答講解説教25)
主たる聖書テキスト: ヨハネによる福音書 14章15〜27節
本日より、使徒信条の「われは聖霊を信ず」以下の第三部の学び
に入っていきます。さて、聖霊はペンテコステにおいて教会をつく
り、導いてきました。ところが、教会は、既にキリストの在世中に
特別のご使命を与えられた、とする考え方もあります。カトリック
教会の考え方です。根拠となる聖句は、マタイ16:18-19です。キリ
ストご自身がペトロを基に教会を建てられ、その教会に天国の鍵、
すなわち罪を赦したり、赦さなかったりする権限をお与えになった
というわけです。カトリック教会は、この聖句によって、ペトロと
その後継者たる教皇を指導者とする教会に、キリストの持っていらっ
しゃる権限がそのまま委譲されたと考え、その代表者たる教皇はキ
リストの代理だ、と主張してきたのです。
しかし、この説の弱点は、ペトロはキリストから何らかの権限を
受けたとしても、その後継者はどうなのか、ということです。キリ
ストは「あなたとあなたの後継者とに」とはおっしゃいませんでし
た。そこで、カトリック教会は、キリスト亡き後の教皇にキリスト
の代理の権威を保持させているのが、教会の魂たる聖霊だ、と主張
いたします。聖霊の働きは、カトリック教会を助けることだ、とい
うわけです。
しかし、そもそも本当にキリストからそんなに大きな権限を委託
されるにふさわしい人物だったのでしょうか。その後直ちにペトロ
が本当に岩としての働きをしたのかと言うと、そうではありません
でした。イエスから受難予告を受けたペトロは、イエスを脇へお連
れして諌めはじめ、イエスから「サタンよ引き下がれ」(マタイ16:23)
と言われています。また、イエスが逮捕されると、それが神の業で
あることを全く理解せず、三度もイエスを知らないと主張しました。
(マタイ26:69〜)よみがえりのイエスと出会い、イエスに「わたしの
小羊を飼いなさい。」と三度言われましたが、イエスは同時に「わ
たしを愛しているか。」とペトロに三度も尋ねられました。まだ信
用されていないのです。(ヨハネ21:15〜)そんな、そんなペトロがペ
ンテコステにおいて聖霊を受け、初めてキリストを証したのです。
(使徒言行録2:14〜)ゆえに、ペトロは、教会を司る権限をキリスト
から予告されましたが、実際には聖霊によって与えられたのです。
ペトロも、そしてもちろん後の教皇たちも聖霊を仕えさせるのでは
なく、聖霊に仕えるべきなのです。
聖霊が教会の権限の源であるとると、教会に与えられた権限も自
ずと限られてきます。なぜなら、聖霊の働きは、本日の福音書ヨハ
ネ14:26にあるごとく、「わたし(イエス)が話したことをことごとく
思い起こさせる」ことにあるからです。それゆえ、聖霊に導かれた
教会に与えられた権限は「キリストを指し示すこと」に限られます。
プロテスタント教会は、その聖霊の導きに従って教会形成をしま
す。アウグスブルク信仰告白第五条では、聖霊が教会の中で働くの
は、み言葉と聖礼典のみとはっきり言っています。それでは天国の
鍵についてはどうでしょうか。カトリック教会では、キリストから
天国の鍵を与えられたということで、キリストの権限を丸ごと与え
られたと解釈し、たとえばお金で罪の赦しを宣言したり(贖宥)、異
端とされる者を裁判にかけ処刑したり(異端審問)、大きな権限を行
使してきました。しかし、プロテスタント教会は、み言葉の宣教と
聖礼典のみが聖霊の導きだと考えますから、天国の鍵を預かったと
しても、全権を預かったとは考えません。天国の鍵を開く、つまり
罪を赦す権限を与えられたとしても、実際に行使するのは、その人
を福音の説教に導くことだけです。聖霊の導きに委ねるまでが人の
仕事、本当に赦しを与えるのは、聖霊においてなされる神のみ業で
す。そして天国の鍵を閉じること、つまり裁く権限も与えられてい
ますが、実際に行使するのは陪餐停止、ないしは除名と名がついて
はいますが、陪餐の継続的停止のみです。聖霊の働かれるところか
ら絶つ、そこまでが教会のなすところで、あとは神に任せられます。
こうしてプロテスタント教会は、教会が聖霊に仕えるという原則を
守って教会形成をしています。
問57は、聖霊の学びが短くまとめられていますが、その意味する
ところは深いのです。教会が聖霊に仕える時、「我は聖霊を信ず」
という告白が真実のものとなります。また聖霊の第一の働きは、キ
リストへの信仰告白に至らしめることですから、終末の裁きにも耐
え得る慰めが用意されているのです。聖霊の働きに委ねて歩みましょ
う。
(2007/12/09 三宅宣幸牧師)
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