2007年12月02日

『裁き主よ、来たりませ
(ハイデルベルク信仰問答講解説教24)

主たる聖書テキスト: マタイによる福音書 25章31〜46節


 旧約聖書に記されたイスラエルの民の歴史は、神が遣わされるヒー
ローを待ち望み、それが叶えられる歴史でした。旧約聖書時代にイ
スラエルが直面した最大の困難は、バビロン捕囚でした。この時人々
は、ひたすら耐えるだけでもなく、偽預言者の言に惑わされるので
もなく、預言者、特にエレミヤ、第二、第三イザヤの言に従い、神
の前に罪を告白し悔い改め、神に全面的に委ね、神の遣わされるヒー
ローを待ったのです。神は、バビロン捕囚の開始から僅か50年後、
何と敵国ペルシャの王キュロスをヒーローとして用い、イスラエル
をバビロン捕囚から解放し、故国再建を認めさせたのです。ところ
が、本当の困難はそれからでした。内部の乱れがありました。神殿
再建工事に足を引っ張る者がいるのです。指導者ネヘミヤは内部の
粛清を図らねばなりませんでした。更なる国難は諸外国との関係で
した。イスラエルを通して神の支配が全地に遍く及ぶはずだったの
が、イスラエル国家の独立さえ侭ならないのです。やっと独立を確
保したのも束の間、63B.C.にはローマの植民地になってしまう有様
です。この困難の中で、神の経綸(ご支配)を疑う立場も出てきまし
た。しかし、多くの人々は、もはや神のお遣わし下さるヒーローを
待ち望むのではなく、神ご自身が歴史に介入されることを願うよう
になってきました。これを終末論と言います。この世界は神ご自身
が始められた世界ですから、今度神が歴史に介入なさる時は、その
世界を閉じることとなるでしょう。そして、閉じる時は清算をする
時です。人間の罪が清算され、救われる者とそうでない者とが分か
たれる時です。救われる者にとっては救いの時ですが、滅びる者に
とっては、永遠の滅びに至る時です。でもいいのです。そこまでし
てほしいのです。そして、この終末の裁きのために神から直接遣わ
されるのが、メシヤでした。

 イエスはこのような時代背景の下にメシヤとして生まれられまし
た。「時は満ち、神の国は近づいた。」(マルコ1:15)これは、なさ
れた宣教の第一声です。神の国=神の直接支配=終末は、今イエス
と共に来たのです。そして、イエスは裁き主メシヤとしてこの世に
来られたのです。マタイ25:31以下は、イエスの裁き主としての姿勢
が最もよく表わされています。イエスの裁きはイスラエルの民に止
まりません。すべての国民に及びます。この裁きの場に引き出され
た一方のグループにはイエスに十分に仕えたと思っている人が多く、
他方には十分に仕えた自覚のない人が多いようですが、しかし、裁
きはイエスに仕えた自覚があるか、ないかでなされるわけではあり
ません。ポイントは名もない人の窮状にどう対応したか、なのです。
名もない人が苦しんでいるとき、だれでも憐憫の情は持つでしょう。
そして「手助けした方がいい」という考え方に異論のある人もいな
いでしょう。しかし、実際に手足を動かして助けるかどうかとなる
と、そこまでは分かりません。手助けは手間がかかります。忙しく
て自分の仕事を抱えている身には大いに負担です。そして何よりも
相手は「名もない人」ですから、見返りが期待できません。だれか
が誉めてくれるわけでもないし、お礼が返ってくる訳でもありませ
ん。お礼どころか、相手から無償提供を繰返し要求されるかもしれ
ません。現実は物語のような美しい結末には至らないのです。しか
し、そんな最悪の条件の中でも愛の業を行うのかどうか、「‥でも、
助けを必要としているのだから‥」とと助けの手を差し伸べるかど
うか、そこまで問われています。私たちはイエスのこの厳しい裁き
に耐えられるでしょうか。耐えられないのです。ところが、裁き主
イエスはこの後(マタイ福音書続きのとおり)意外な行動に出るので
す。本来私たち一人一人に与えられた有罪判決をご自身に受けて、
その罰を十字架刑という過分なる罰で負ってしまってくださったの
です。そうやって私たちの終末の裁きを無罪扱いにし、終末の裁き
に対して救われるようにしてくださったのです。

 本日のハイデルベルク信仰問答の問52は、この問答全体の中でも
とても不思議な問の一つです。なぜなら、使徒信条は、イエスがこ
の世の本当の終末の時に再び来られて、今度こそ容赦ない裁きをさ
れることを述べているのに、それが私たちにとって恐怖ではなく、
慰めであると言っているからです。なぜでしょうか。それは、イエ
スが終末の裁きをお受けになられた後、それで世を終わり、とされ
ないで、救いが広く行き渡るように待っておられるからです。私た
ちは待たれています。キリストの福音を知ったならば信じて救いに
与る、信じたならば離れない、そうして主の再臨を待ち望みましょ
う。

(2007/12/02 三宅宣幸牧師)

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