2007年10月14日

『上を向いて歩む人生

主たる聖書テキスト: 詩編 8編2〜10節


 ある高校の創立記念式典で生徒の発表が行なわれ「生きる」とい
う題の合唱がありました(谷川俊太郎作詞「信じる」という合唱組
曲の一部)。また、書道部の生徒が歌に合わせて大きな布に「生き
ることは信じること」と揮毫し壇上に高く掲げました。
 また、披露された歌の中に坂本九が歌って有名になった「上を向
いて歩こう」がありました。この歌はもう何十年も前に流行った歌
ですが、今も色あせることなく若い人たちに歌い継がれていること
がわかりました。おそらく歌詞が多くの人の心の琴線に触れて共鳴
するからでしょう。

 統計によると、今の若い人たちは人生に希望を持てないと考えて
いるようです。人生の先行きに困難を感じているようです。しかし、
あの高校生たちは「にもかかわらず」上を向いてあるこうよと明る
く歌いました。
 人はなぜ上を向いて歩くのでしょうか。それは「涙がこぼれない
ように」するためだと歌詞は続きます。しかし、涙がこぼれないよ
うにと言われても人生に涙はつきものです。涙のない人生はありま
せん。私たちが人生で流す涙は、上を向いてこらえてもすぐに溢れ
出てしまうほどの沢山の涙の海の中にあるのではないでしょうか。
「人生は涙の中にあり」これが人生の現実ではないでしょうか。し
かし、それが人生の現実であるにしても、人は生きて行かなければ
なりません。これもまた人生の厳しい現実であります。

 今日の礼拝では、詩編8編のみ言葉が与えられました。ここには、
厳しい人生を諦めることなく希望を持って生きて行くことが出来る
根拠が示されています。詩編の詩人はその根拠として「神への信頼」
を語ります。そして信頼に足る理由として、
@神は世界の創造者であり、世界は神の支配のもとにある。
A人間は決して偶然この世界に生れたのではなく、神によって創ら
れた存在であり。自然を治める大切な使命をも託してくださってい
る。
B人間は土のちりのように小さく取るに足りない弱い存在であるが、
神は人間を絶えず愛し目に留め覚えてくださっていると述べていま
す。
 詩編の詩人も、人生の苦しみを経験した人であろうと思います。
多くの涙が苦しみの中から溢れることもあっただろうと思われます。
しかし。詩人はくず折れることなく諦めることなく神の変わらない
愛を信じて希望と勇気を持って人生を歩んだのでありました。

 坂本九は涙がこぼれないように上を向こうと歌いました。また、
幸せは雲の上にとも歌いました。そして、だから「上を向いて」と
さらに歌いつづけました。
 しかし、空の上に本当に幸せは発見出来るのでしょうか。そこに
涙を幸せに変えるような確かなもの、確かな根拠があるのでしょう
か。そこにはただの空があるだけなのではないでしょうか。またも
しそうだとしたら空を見上げることは何と空しいことでしょうか。
 しかし、詩編の詩人が見上げたのは単なる空ではありませんでし
た。詩人の見上げたのは神の世界としての空でした。そして詩人は
そこに神の業を見、神が世界と自分に生きて働きかけておられるこ
とを信じたのです。そして、涙の歌ではなく神を賛美する歌を歌っ
たのでした。

 最後に、新約聖書ヘブライ人への手紙2章に詩編第8篇が引用され
ていることに触れておきます。そして、引用に続く部分で著者がイ
エス・キリストについて触れていることに注目したいと思います。
ここで著者はイエスの十字架の死が人間の罪の赦しのためにあった
ことを語り、イエスは自らの死によって人間を罪の支配から解き放
ってくださったと語っていますが、この著者の言葉は今日の礼拝で
考えてきた問題に対して光を当てるものとなると思われます。
 聖書は人間の苦しみ悩みの根源に罪の問題があり、この罪の問題
が解決しない限り人間の涙は決して無くなることはないと考えてい
ます。そして、この罪の解決のためにイエス・キリストがおられる
のだということを罪の苦しみの中にある私たち人間に告げています。
従って、聖書から考えると、涙がこぼれないように上を向くという
ことはイエス・キリストの十字架を見上げるということ、そして上
を向いて歩むとはイエス・キリストにおいてこの私を愛して止まな
い神を信頼して生きるということに他なりません。
人生の苦しみは消えることがないかも知れませんが、神に信頼しい
つも上を見ながら歩む者でありたいと思います。

(2007/10/14 石井道夫牧師)

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