2007年09月16日

『苦しみを受け
(ハイデルベルク信仰問答講解説教16)

主たる聖書テキスト: ローマの信徒への手紙 3章21〜26節


 本日は、使徒信条の第二項の学びに入ります。使徒信条の第一項
はイエスの誕生についての告白でしたから、第二項はそれに引き続
いて、イエスの受洗に始まる宣教活動、すなわち教えと業とに触れ
るのか、と思いきや、いきなり、「ポンテオ・ピラトの下に苦しみ
を受け」と受難に直結してしまいます。大変不思議なのですが、こ
のような直結は当然のことかもしれません。なぜなら、イエスは、
誕生の時から仲保者となることが生涯の目的であると定められてい
たからです。そして実際、生涯の終わりに十字架にかかって死なれ、
その目的を達成されました。使徒信条は、この大切な出来事を、何
を差し置いても伝えなければならなかったのです。が、そうすると、
イエスの他の活動は、二次的な意味しかもたないのでしょうか。そ
の辺りを検証してみる必要がありそうです。

 ところで、福音書はイエスの伝記であるように見えますが、イエ
スの伝記ではありません。そこで、このままではイエスの実像がわ
からないというので、「史的イエス」と言うのですが、福音書の記
述からイエスの実像を炙り出そうとする研究が行われてきました。
様式史や編集史の研究を通して、言い伝えや伝承の過程で付け加え
られたり手が加えられたらしきもの、編集の過程で付け加えられた
もの、脚色された部分などを除いていけば、そこから人間イエスの
実像が出てくるはずだ、と考えられたのです。しかし、この研究の
結果は、玉葱の皮を剥くが如くで、芯にあたるものはほとんど残ら
なかったのです。ゆえに、「史的イエス」は全然わからない、とい
う結論に到達してしまった人もいます。しかし、それが脚色された
り手を加えられた部分であったとしても、根っこには史実があるは
ずです。そのような前提で史実としてのイエスの生涯は「大体」次
のようなものと考えられます。

 イエスはおそらく4B.C.ごろ生まれられました。父(養父)のヨセフ
は家造りであり、ヤコブ、ユダ、ヨセ、シモンの四人の兄弟と姉妹
(複数)がいたようです。(マルコ6:3)少年期についてはほとんどわか
りません。おそらく30歳ころ、バプテスマのヨハネから洗礼を受け
ました。その後宣教(伝道)活動に入り、おそらく一年半弱、教えを
説いたり、業と言いますが、病気を癒す活動をしました。そして、
紀元30年ころ、過越祭の週の初めの日にエルサレムに入城され、い
わゆる宮きよめの後、ユダヤ教当局者の敵意が絶頂に達し、反逆者
としてローマの官憲に引き渡され、金曜日には十字架の死を遂げら
れました。

 大まかな史実と考えられる生涯は以上ですが、ある神学者は「教
会は十字架と復活によって始まるのであって、イエスの生前には教
会はなかった。」という主旨のことを言っています。確かにそのと
おりなのですが、イエスが十字架と復活の時になって急にご自身を
示されたかといえば、そうではないはずです。たとえ弟子たちは無
理解であったとしても、イエスは生前にもご自身を示していたので
はないでしょうか。だとすると、イエスはいろいろな教えを教えら
れました。癒しをされました。が、それらはすべてご自身が十字架
上で苦しまれることが前提、十字架上でイエスが苦しまれることに
よって完成される救いだったということです。たとえば、「あなた
の罪は赦される」(マルコ2:5)というイエスの癒しの宣言は、イエス
の十字架の死と復活による罪の赦しが前提となっています。また、
「敵を愛しなさい。」(マタイ5:43-48)との教えは、まだ神の敵であ
った時に赦されたという体験をもって全うされるものです。イエス
はご自身が十字架上で苦しむことを覚悟して、前提して活動してお
られたのです。それゆえ、使徒信条がイエスの生涯を無視したのは、
イエスの生涯を二次的と考えたからではありません。そうではなく
て、問37の答えの前半にあるごとく、イエスの生涯全体が苦しみに
集約されるからです。

 が、そのイエスの生涯かけての苦しみのおかげで、イエスの生涯
の生前に出会った人にも救いが保証されることとなりました。イエ
スは病を癒された女性に、「あなたの信仰があなたを救った。」(マ
ルコ5:34)と言いました。「神の子」と宣言され、(マルコ1:11)「神
の国」の到来を宣言して(同1:15)活動を開始したイエスの到来とと
もに、神の国(=神の支配)が始まったのです。それゆえ罪の贖いの
成就は先取りされ、問37の答えの後半にあるように、罪からの解放
とともに、ローマ3:21以下のとおり、信じる者が義とされる時代が
イエスの到来とともに始まったのです。

 教会の時の恵みに与る私たちにはさらに確かな神の支配が示され
ています。求め、受け止めて参りましょう。

(2007/09/16 三宅宣幸牧師)

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