2007年09月09日

『聖なる受胎
(ハイデルベルク信仰問答講解説教15)

主たる聖書テキスト: ヘブライ人への手紙 9章11〜14節


 今日これから、使徒信条の中に示されたイエスの生涯の学びに入
ります。使徒信条はイエスの生涯の最初である誕生の数ある出来事
の中で、「主は聖霊によりてやどり、処女マリアより生まれ」とし
か触れていません。しかも、それは、マリア崇敬が盛んなカトリッ
ク教会でそうであるだけではありません。プロテスタント教会の信
仰の基礎を築いたハイデルベルク信仰問答もそれをそのまま受け継
いでいるのは、不思議なことです。

 さて、イエスの母マリアがイエスを身ごもった出来事は、一般に
「処女懐胎」と言われてきました。(マタイ1:20、ルカ1:35)マリア
は許婚ヨセフと婚約はしていましたが、まだ結婚してはいませんで
した。なのに、聖霊の力によって身ごもりました。それゆえ「処女
懐胎」と言われます。この出来事は、人間の知る自然法則に反しま
すので、様々の憶測や議論を引き起こしました。特に近代、科学万
能の時代になると、このことを科学的に説明しようと、諸説紛々。
すさまじいばかりです。が、科学はそもそも人間の五感ないしその
延長で経験できる限りのものを整理する手段です。人間の経験の外
の出来事は対象外です。当然のことながら、その人間をお造りにな
られた神は全く対象外です。いわゆる「処女懐胎」は、聖霊が、つ
まり神がかかわっておられる出来事である、と聖書は言っているの
です。どうして、その出来事を人間の理解の枠に閉じ込めなければ
ならないのか、理解に苦しむところです。

 その点、カトリック教会はこの出来事の神秘を大切にしてきまし
た。イエスをマリアが身ごもったのは、神の引き起こした、神秘の
出来事なのです。しかし、その出来事がなぜマリアに起こったのか、
そしてなぜ処女であったマリアに起こったのかという点で、カトリ
ック教会はあらぬ方へ走っていってしまい、未だにその間違いは正
されていません。なぜ処女でなければならないかといえば、それは
彼女が汚れていないからであり、なぜマリアであったかと言えば、
彼女は罪の汚れを免れていたというのです。聖書はそういうメッセ
ージを私たちに伝えているのでしょうか。いません。聖書(創世記)
によれば、神は最初から人を男と女とに造られ、「産めよ、増えよ、
地に満ちて地を従わせよ。」(創世記1:27〜28)と祝福して送り出さ
れました。もちろん結婚が唯一の道ではありませんが(コリント一7章
参照)、結ばれてそして子をもうける、これは決して汚れた出来事で
はなく、神に祝福された出来事です。また、マリアが罪の汚れを免
れていたとする説についても、聖書的根拠がありません。人の中で、
罪から免れ得る者は一人もいません。パウロがローマ3章で言うとお
りです。もちろん、マリアも例外ではありません。

 にもかかわらず、聖書のみに、そして聖書にきちんと立つプロテ
スタント教会が、使徒信条のこの項をそのまま受け止め、しかも大
切にしているのはなぜなのでしょうか。それは、「主は聖霊により
てやどり」という前半部分に、後半部分に劣らぬ大きな意味を見出
しているからです。イエスの出所は天、父なる神です。あくまでも
神です。このことを「聖霊によりてやどり」が表わしています。(ヨハ
ネ1:14参照)そして、「処女マリアより生まれ」という一言は、汚れ
なき女性から生まれたとか、罪を免れた女性から生まれたというこ
とを言っているのではなく、イエスがあくまでも人間の子として生
まれたということを言っているのです。自ら罪を犯されるというこ
とを除いては、人間のもつすべてのものをマリアから遺伝として引
き継がれたのです。つまり、使徒信条のこの項は、神が人となられ
た出来事、これを「受肉」と言いますが、それを指し示しているの
です。

 この受肉の出来事を「神の謙卑」と言います。この「神の謙卑」
は私たちにとってどのような効果があるのでしょうか。問36には、
なぜ、そして何のためにイエスがこのような誕生をされたかが述べ
られています。それは、誕生時のゴタゴタを隠すためでもありませ
ん。イエスがいかに聖であるかをひけらかすためでもありません。
仲保者となるため、ただそれだけの理由でした。仲保者とは、人類
の罪を神にとりなす役割を持った者のことです。それほど人類の罪
は重いのです。それを償い、収めるためには、まことの人にして傷
なき神の子の犠牲がどうしても必要だったのです。(ヘブライ7:14)
イエスはそのことだけのために「聖なる受胎」をされたのです。こ
れは、私たちとしては、申し訳ないことです。毎年私たちはどのよ
うな思いをもってクリスマスを迎えているでしょうか。神がそこま
でしてくださったことに対して私たちは正しく受け止めているでし
ょうか。

(2007/09/09 三宅宣幸牧師)

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